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親になるということの意味2

あのね、親孝行ってないと思う

親孝行って言葉は無くした方がいいと思う

親という生き物になったのなら、
しいて言うならば
子孝行しなさいってことだと思う

自分の親がしっかり子孝行してくれていたら、
自分も子孝行したくなり、親になるのだと思う

それが親孝行になるのだと思う

だからつまり、親孝行って言葉はあっていいけど、

子が自分の親に対してできることは生き抜いていくこと、
だけだと思う


子は親を慕うものであり、
子という生き物は
親孝行をしなさいってな風に誕生させられる子らは、

一体、何を倣って何を見本に親孝行なんて超絶難しい何が何だかわからない曖昧な概念を遂行できるというのか

どんな親であっても、
必ず愛し、慕えっていうのは無理がありますよ
いや、本来は無理なんてないです、無条件で子は親を愛しているのですが、

親が子を愛せていなかったら、
愛するということを忘れてしまったまま、親になってしまった人の子には、
人生の見本が一切ないように思います

親孝行をしようにも、その強要だけはされるのに、
その仕方は誰も教えてくれない、愛しているのに、愛せない、

愛されている実感がない中で、それでも好きなのに、この愛を受け取ってくれない相手に、
どうやったら親孝行などできるのだろうか


親が子にすべき子孝行とは
生き抜いていく背中を見せることだよ
死なないで生きていてくれることだよ
絶対に親は子より先に死んではいけないんだよ

そんな親の背中を見て育ち
親の愛を一心に受け育った子らは
自らも親になりたいと心から願うようになり

子を誕生させ、その愛を受け継いでいくんだよ

子をおいて先に死ぬことはできない親となった生き物は、
自分の親が先に死んでも
強く逞しく生きていくことができるんだよ


ちなみにぼくは
人という生き物は120歳まで生きるものだと思ってて、
人生の折り返しは30歳で、人生の後半は30歳からの90年だと思っている

ぼくは自分が30歳で親になるのではないかと思ってて、
そして120歳までいまと同じ元気で生きていくんだと思っている

ぼくの親にもぼくの子どもが少なくとも30歳になるまではいまと同じだけ元気なままで生きていてほしい
なんて、夢見ている
本音を言えば120歳まで元気に生きているのが普通だと思っている


ぼくの両親は
とんでもなく子孝行してくれている
こんなぼくのことをずっと愛してくれている
生きていてくれている
わざわざ感謝なんかできない
永遠にしているだけのことだよと思う
特別なことじゃない、呼吸をするのと同じことだよってくらい

感謝と呼吸は同一のものだと言えるかもしれない


呼吸は大事だよ
一呼吸一呼吸丁寧に一度も蔑ろにせず、生き抜いていてくれ
友よ




君に会えないぼくの孤独な叫び




それでもなんでもいつまでも
誰に何を言われたった見向きもされなくたって
力及ぶ及ばないとかじゃなくて
ぼくは全人類の幸せ
全生命の幸福を求めている

君の心からの笑顔が見られるように
ぼくは悪にでもなる

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