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おかしな「問題と答えがある教育」

学校の教育がおかしいと思いませんか??

多くの人はおかしいと思わないでしょう。なぜなら、自分が受けてきた教育を否定することは、自分を否定することとなるから。

noteに投稿している人は、学校の教育がおかしいと思っているでしょう。noteを書くことを教わってないのに、勝手に自分で書いているのだから。

日本の教育はおかしいと思うので、言わせてください。

「問題と答えがある教育」は、もうやめた方がいい。

「問題と答えがある教育」をしている以上、問題から答えを見つけることしかできない人を量産させるだけ。学校を出れば、問題も答えもなくなる。

noteが分かりやすい例だよ。

日本の教育に染まった人は、noteの書き方に対する問題や答えは、ないからできないと思うだろう。どのように書きますか?という問題が与えられれば、答えを出せるかも知れない。

世間は、noteをどのように書きますか??。なんて、問題を与えてくれない。自分で探すしかない。答えも。それくらい世の中は、残酷であり、ある意味自分で動けと言っているのだ。

noteに投稿をしている人は、どのように書くかという問題を自分で作って、勝手に答えを作っている。日本の「問題と答えがある教育」に染まってない人しかいないから嬉しい。

学校教育では何を教えるべきか。答えはもう出てる。

「問題と答えを自分で探す教育」をするべきだ。つまり、たくさん遊ぶのである。

現代の日本では、小さい頃から受験させる文化がある。答えある問題を解いたら、有名な学校に受かることが誇らしいとされている。所謂、受験戦争だ。

受験戦争こそ、日本の「問題と答えがある教育」の象徴だね。これは、良くない。小さい時から、「問題と答えがある教育」をさせたら、日本のおかしな教育に早いうちに染まってしまう。小さいときは、遊んだ方が良い。

遊ぶと何をして遊ぶかという問題を自分で掲げて、自分なりの答えを探すだろう。【遊んだ経験=「問題と答えがない教育」】の象徴だ。

日本では、基本的に3年ごとに受験が出てくる。毎年毎年日本全国で、成績の良い学校に何人受かったか?というくだらない争いが繰り広げられている。

もういい加減辞めよう。

遊んだ経験をもとに、なぜ、どうして、どのように遊んだかを自分でプレゼンテーションする教育の方が良い。多くの人は、それじゃ、成績が測れないじゃないかと罵声を上げるだろう。

成績、成績と言う人は、くだらなさすぎる。そう言う人に限って、日本のおかしな「問題と答えがある教育」の枠組みから外れられない。世の中に出たら、「問題と答えがない」と思わないか??。成績が大事と連呼する人は、世の中に出ても「問題と答えがある」と思っているのだろう。それは、間違いだ。

学校では、生徒の遊んだ経験から学んだことや過程をプレゼンテーションして、1人1人に対して指導すべきだ。そしたら、学校で頻繁に催される「謎のテスト」も要らない。

もういい加減に、「問題と答えがない教育」へ、パラダイムシフトするべきだ!!

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