「皆んなと同じ」という謎の枠組み

日本の教育では、よくあることだ。

新しい学年に上がるごとに、謎のクラス替えにより30もしくは40の枠に囚われる。ある意味でいうところの刑務所のような感じだ。少し言いすぎたかも知れないけど、つい過度な表現をしてしまうくらい【謎の枠組み】だ。

枠組みの中では、なぜか先生が1番偉いみたいなふうになっているけど、違くないか??。誰が、1番偉いとかないだろう。なぜか、勝手に生徒に対して、マウントを取ってくる人の多いこと。ただ、人生を少しだけ長く生きてるだけなのに。

むしろ、先生の立場は謎の枠組みの中では、1番下だ。先生が目立ってはならない。

だって、学校の目的は何だ??

先生がマウントを取って、目立つことじゃないだろう。本来の目的は、【生徒に学ぶ場を提供すること】だろう。勘違いして、俺は偉いと思っている先生は多いと思う。本当は、暖かい眼差しで見守ることだろう。

なぜ、少し考えればわかることなのに、意味が分からない。もっともっと、本気になって欲しい。

40人いるなら40人違う。40通りの教育の仕方がある。学校の先生は、テンプレート的なことしか出来ないから、40人生徒がいるのに1人に対する教育をしょうとする。

本来、生徒に考えることを教える人が、何でテンプレートをそのまま活用してるんだ!!。おかしいだろう。なぜ、思考停止してるんだろう。そんな人が、生徒に対してマウントを取って、偉そうに教えているんだから随分と意味が分からない。

学校の中では、40人の枠組みの中でも、【謎のカースト制度】が設けられる。成績が1番とか、運動ができる人が1番ではなくて、言葉巧みで相手にグイグイと言われることができる人がカーストの1番上になる。

これは、、日本の枠組み制度の恩恵だ。

【謎な枠組み】を作るから、カーストのトップに目をつけられると勝手に仲間外れにされたり、他の38人にも派生してどんどんと逸れていく。

集団で生きていくことは大切であることを教えたいと思うんだけど、カーストのトップがいろんな意味でダメであると、クラスが狂うこととなる。

つまり、集団で生きることを教えようとしているのに、トップがダメだと組織が成り立たないことを学ばせてくれる場所が学校なのだ。逆も然りで、トップが良いと組織が成り立つのだ。

集団でいると、なぜか【皆んな一緒】というマインドを注がれる。だが、それでは意味がない。なぜなら、クラスの中にいる、浮いている人が弾かれるからだ。本来の集団とは、浮いている人も許容される場所でなければならないのだ。

だからこそ、学校の先生が教えるべきことは、

集団生活だから皆んな一緒にしましょうではなくて、集団生活で1人1人を受け入れることですよと教えるべきである。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?