自分にとってのラブライブ!って??
0.はじめに
今回、このような本格的な書き物をして形に残すということを本当に初めてやるので、拙い文章になるだろうからやるかどうか正直なところ悩んだ。しかし、他の周りの人たちがやっていたのと、私自身ラブライブ!というコンテンツを好きになってから丸9年経ち、ライバー歴10年目を迎えるにあたって何か残したいと思い、書き物に挑戦してみることにした。
所々読んでいてまとまりがないと感じる部分や表現が稚拙だと思われるところもあると思う。それでも最後まで読んでくださると嬉しい限り。
1.出会い
ラブライブ!というものに出会ったのは、忘れもしない2015年6月13日のことだった。その日私は部活の遠征に出かけており、夜の自由な時間を過ごしていた。(中の人の地元は九州の島なので、大会の際には必ず島を出ないといけなかった)
その時、同じ部活のあるメンバーが「今日ラブライブ!の映画の公開日なんだよね~」と何気なく言い出した。そして私に映画のキービジュアルを見せてきた。それが私が初めてラブライブ!というものに触れた瞬間だった。
その時の私は、「センターにいる子(高坂穂乃果ちゃん)かわいいなーこんなアニメあるんだふーん」くらいの印象しか持たなかった。遠征から帰ってからもキービジュアルを見せてくれた子からの猛プッシュがあったため、ついにアニメを見てみることにした。
ラブライブ!アニメ1話を見たときの感動は今でも忘れていない。当時主人公と同じ高校生という近い立場にあったからなのか、歳が近い子たちが頑張る姿にとても勇気をもらったのを覚えている。
そこからラブライブ!を2期まで全話見終わるのに時間はかからなかった。アニメを人生でこんなにも早く見終わったのはおそらくこれが初めてだと思う。また、アニメを見進めていくうちに絢瀬絵里ちゃんが推しになっていった。
この2つのセリフは、当時アニメを見ていた私がかなり考えさせられたセリフだ。
学校を廃校から救うために自分の気持ちを殺してまで活動していた絵里ちゃんが放った本音と、その本音を受け止めた絵里ちゃんの一番の理解者である希ちゃんがかけた言葉。正直な話、このセリフ聞いて何回泣いたか数えられない。
少し話は逸れるが、アニメを見ていた当時高校生だった私は、かなり進路に悩んでいた。本当にやりたいことは何だろう?どんな進路だと笑って楽しく過ごせるんだろう?そんなことを毎日考えていた。
父が医療関係の仕事をしていたこともあり、周りも私が何かしらの医療系の仕事に就くことを望んでいた。次第に私もこれが自分も周りも笑顔になれる道なんだ、そう思うようになっていった。
しかし刻々と受験が近づいても勉強のやる気は起きず、成績は上がるどころか停滞の一途をたどっていた。これが本当に自分が望んだ道なのか…..?、そう強く自分に問いかける毎日がまた始まった。
そんな時にラブライブ!のアニメのセリフを思い出した。やりたいことを始めるのに理由なんて必要ない。ただやりたいからやってみる。そんな感じで少し肩の力抜いてやりたいこと探してみよう、そう少しづつ思えるようになっていった。
私に完璧主義な部分があり、なかなかそのマインドになることには苦労したし、本当に大学で勉強したいことにたどり着くまで親だけでなくたくさんの人に心配と迷惑をかけ、浪人までかかってしまったが、ラブライブ!が大切なことを教えてくれたおかげで挫けそうになっても頑張ることが出来たと本当に今でも思っている。
その大切なことを教えてくれたのが、他でもない絢瀬絵里ちゃんだった。核心となるセリフを言ったのは東条希ちゃんだが、本当にやりたいことを何にも縛られず、思いっきりやると心から笑顔になれる。これを教えてくれたのが紛れもない絢瀬絵里ちゃんだった。ぼらららを披露し終わった後の一点の曇りもない笑顔に、今でも救われている。その後の活き活きとステージに立つ姿や、壁にぶつかった穂乃果ちゃんに手を差し伸べる気持ちの余裕ができている姿からもそれがよく伝わってくる。だからやりたいことを我慢しないで正解だったと、確信できる。
長くなったが、こうして絢瀬絵里ちゃんが推しになった私は、どんどんラブライブ!の沼にはまっていくことになる。この頃にはもう、私にとってのラブライブ!は間違いなく『ただ知っているアニメ』から『自分に大事なものを与えてくれたかけがえのないもの』に昇格していたと思う。
そんな感じでラブライブ!の沼にはまっていった私だが、地元が都心からかなり離れていたこともあり、ライブなどに参加することはなく、ひたすらスクフェスをしばいて楽曲のオタクになっていた。
そんな私の世界が広がった瞬間が、大学入学を機に上京をしてきたタイミングだった。
2.広がる世界
ラブライブ!が好きになったはいいものの、私はある悩みを抱えていた。それは「自分と同じ水準でラブライブ!について話せる人がいない」というものだ。
ハマり出した時こそ、μ's全盛期だったため、ちらほら話せる人はいたのだが、Aqoursが登場したタイミングで当時の身内のオタクは皆降りてしまい、本当に孤独にラブライブ!というコンテンツを応援するしかなかった。
地元はCDやグッズすら満足に買えないような土地的な制約も多少あったため、1人でできるスクフェスをひたすらにしばいていた。(今思えばこれのおかげでμ'sの楽曲に死角がなくなったからやっててよかった)
これを知った前までラブライブ!を追っていた身内のオタクからは「まだスクフェスやってるの??」って言われる始末だった。今思えば好きなものを否定された感じでめちゃくちゃ悔しい。
この時ちょっとだけラブライブ!を推すことに翳りが生じていた気がする。周りに誰も話せる人がいないのに、1人で何やっているんだろう??そう思った日も少なからずあった。
しかし転機は自分が思っていたより早く来た。晴れて大学生になった私は、憧れだった関東での生活をスタートさせた。
関東に来た私は入学した大学とは別の大学のラブライブ!研究会に入っていろんな人と交流をした。(自分が入った大学にもラブライブ!好きはいたが、もっといろんな人と関わりたいと思ったため)
自分の好きなものを存分に語れる環境を望んでいた私にとって、それはとてもいい思い出になった。ライブの感想を語り合えるオタクが近くにいる、それだけで幸せだった。
ラブライブ!を推すのをやめていたら、この気持ちは絶対に味わえなかったから、ラブライブ!が好きで良かったと心から思える。この時に知り合ったオタクとはライブ会場で今でもエンカしたりしてるから本当にいい縁に結ばれた。
また、ずっと行ってみたいと思っていたイベントにも参加するようになった。
私が初めて参加したライブは、
LOVELIVE! SUNSHINE!! UNIT LIVE ADVENTURE 2020 Guilty Kiss First LOVELIVE! ~ New Romantic Sailors ~
だった。
これに参加した時の感動は今でも忘れていない。会場の一体感、普段小さな端末で聴いている大好きな曲が大音量で聴ける感動、圧倒的なライブの世界観、どれをとっても最高のライブだった。初参加のライブがこれでよかったと自信をもって言える。(ライブの感想を書き出すとキリがないので割愛)
気が付いたら私も連番者(←この頃ライバーなりたてでライブ初めて)も大声でキャストを応援していた。帰路についてからもずっと余韻に浸っていた。
今思えばこの時からかもしれない。できるだけ関東から離れたくないなと思い始めたのは。
ライブに初めて参加した時は大学1年生だったため、まだどんな仕事に就きたいとかは正直定まっていなかった。それでもこんな楽しい世界を知ってしまったらフッ軽に通える環境に居たいと誰しも少なからず思うはずである。私も例外ではなかった。
ラブライブ!が『自分に大事なものを与えてくれたかけがえのないもの』と前の章で記したが、それは間違いじゃなかった。ラブライブ!は私に「東京で働く」という小さくても自身の原動力になりうる目標をくれたのだから。
新型コロナウイルスという予期せぬ事態もあったが、できる範囲でイベントに参加しつつ、東京での就職を目標に就職活動を進めた。
いくつかピックアップしたがこれでも足りない。ラブライブ!からは本当に活力をもらうばかりだ。そのくらいラブライブ!というものに力をもらいながら私は小さな目標を叶えるために奮闘した。
3.やりたいことは
2023年の春、私は晴れて東京での就職という目標を叶えて、働き始めた。
時間的な制約は学生時代より大きくなるが、自身のできる範囲でラブライブ!を応援していこう、そう決めて仕事に励んでいた。
そうやって仕事に励んでいた私だが、新卒のブランドを半年でドブに捨てた。自身を追い込みすぎたのか、適応障害と診断され、頑張れなくなった。(細かい話は機会があれば話します…….)
仕事をしている時より、仕事を辞めた後の方が、私は精神的にも肉体的にも苦しかった。抗うつ剤や睡眠導入剤の影響で思うように身体が動かなくて。周りのオタクはみんなお金を稼いでライブに行ってるのに自分はそれすらできないのかと自身を呪った。
何よりこの時期は頑張れない自分に腹が立っていた気がする。それこそ前述のような周りのオタクとの意味のない比較をして勝手に落ち込んで消えたくなって、そんな日々を過ごしていた。
曲を聴く元気はこの時辛うじてあったので、何もしないよりかはマシか………とラブライブ!の曲を何気なく聴いていた。
曲を聴いて気づけば1人で泣いていた。
普段から元気出るなぁ励まされるなぁと思いながらこのあたりの曲は聴いていたが、この時はそれ以上のものがあった気がする。落ちるところまで落ちた私に手を差し伸べてくれている、そんな気がした。
実家に帰って親と何回も話した。特に医療関係の仕事をしていた父からは九州で仕事を探せと言われた。半年で精神疾患でダウンした子供の様子を見てしまったなら、なるべく近くにいてほしいと思うのは至極当然だろう。
それでもやはり、私は関東に戻ることを諦められなかった。ちゃんと身体を治してお金を稼げるようになって、ラブライブ!のイベントに行きたい。関東にいる友人とまた笑って食事したり遊んだりしたい。周りからしてみれば小さな目標かもしれない。それでもこの時の私からしてみれば、それはとてつもなく大きな目標だった。
また関東でやり直したいという意思を親に伝えたら渋々ではあるが了承を得られたので、また関東でやり直すために仕事探しを始めた。
現実はかなり厳しかった。新卒のカードを半年でドブに捨てた私を相手にしてくれる会社はそう多くなかった。何度も心が折れそうになった(と言うより絶対に折れていた)。親の言うとおり大人しく九州で仕事を探した方がよかったのか、何度も自分の決断を後悔しそうになった。でも今は後悔なんてひとつもしていない。諦めないことが夢への手がかり、まさにそうだった。
諦めないでいろいろな就職のイベントに顔を出し、ハローワークが行っているプログラムに参加した(私が使っていたハローワークが若者向けのものだったので訓練プログラムなどが充実していた)。たった一歩だっていい。その一心で就職活動をつづけた。そうして本当にありがたいことに無事内定を獲得することが出来た。
ぶっちゃけた話、将来どうなっているかまだ分からない。どこに向かうかまだ分からない。でも、この先これまで以上に楽しいライブが開催されるかもしれない、感動できるストーリーが見れるかもしれない。今ではありがたいことにそんな面白い未来を語り合える人たちに囲まれている。その人たちと語り合うことを楽しみにすればもうちょっとしぶとく頑張ってみようかなって思える自分がいる。
人生において大きな目標を立てることはとても大切なことだと思う。でも小さな目標を立てて叶えていくことも同じくらい大切なこと。これもラブライブ!が教えてくれた。
ラブライブ!は私にとって「自分に大事なものを与えてくれたかけがえのないもの」と記したが、その大事なものは、私の中での「東京で働く」といった小さな目標も一つあるだろう。
しかしそれ以上に生き方の指針を私に与えてくれた気がする。
挫けても立ち上がる彼女たちの姿に元気をもらい、彼女たちの歌に励まされてここまできた。それらから自分がどうすれば幸せに近づけるのか、何をするべきかをたくさん学んだ。
私にとってラブライブ!は人生のバイブル的なものに気づかぬうちになっていた。大袈裟な表現かもしれないが、私は本気でそう思っている。
ラブライブ!の楽曲の歌詞ひとつひとつが私に道を示してくれる。辛くなった時は少しでも笑ってみるといい、失敗なんて誰にでもある、諦めず足掻くことが大切、今までできなかったマインドをできるようにしてくれた。
そうして少しずつ今は回復して100%の状態とまではいかないが、仕事で研修をこなせるくらいには回復している。もちろんこれはラブライブ!だけのおかげじゃない。ラブライブ!を通して繋がった人たちからもたくさんの元気を貰って今の自分がいる。
全てのつながりに特大の感謝…………。
4.終わりに
諸々話が脱線した挙句、かなりの分量になってしまい、読みにくいところも多々あったと思うが、私が伝えたかったことは、『ラブライブ!というアニメが私にとって、とてもとても大切なもの』だということ、この一点と言ってもいい。
そのくらいラブライブ!というものから沢山のものを受け取ってきた。受け取るばかりで何を返せるかは分からない。私にできることはコンテンツを応援していくことだけだろう。
それでも自分に返せるものがあるなら、大好きの気持ちを叫んで返していきたい。好きに理由なんていらない。ただ大好きだから応援する。ちょっとだけでいいから今度は自分が元気をあげたい。それが少しでもキャラやキャストの力になるのなら。
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