サルトル まとめ(随時更新)
ハイデガーと同様
『人間はこの世に生を受けた瞬間には何の意味も目的も有していない』
と考える
【実存は本質に先立つ】
物の場合は本質があらかじめ決まっている
例えばナイフは切るための道具という本質が定まっている
人間は生まれた時には本質が決まっていない
本質が定まらないまま現実存在してしまっている
Godがいようがいまいがこのテーゼは成り立つ
「存在するとは、われわれにとっては自己を選ぶことである。私が苦にしているこの病身さえ、私はそれを身に引き受けたのである。(存在と無)」
このような存在のこと【対自存在】…無
物事や事物などただそこにあるだけの存在【即自存在】…存在
即自…事物、本質、自然、世界、現象、イデア、身体、精神、etc.
対自…意識
「存在はそれがあるところのものである」
…A=Aというように自己同一的に存在する
「対自はあるところのものであらず、あらぬところのものである」
「存在と無」で為されるのは対自の特異性の分析
志向性(何ものかについての意識)
定立(対象の存在を信じること)…「無化」「存在の中から一つの存在を限定的に切り出すこと」
「『変化した』と言いうるためには、何らかのしかたで過去をとどめておき、これを〈もはや~ない〉という形で現在と比較する一人の証人がなければならない。そのような証人がいない場合には、嵐の前にも後にも、ただ存在があるだけである。台風がある生物の死を引き起こすことがありうるにしても、その死はそれが体験されるのでない限り、破壊ではないだろう。破壊があるためには、まず、人間と存在とのある関係、すなわち超越がなければならない。この関係の範囲内で、人間がひとつの存在を破壊されうるものとしてとらえるのでなければならない。このことは、存在の中から一つの存在を限定的に切り出すことを前提としている。それは、さきにわれわれが真理にかんしてみたように、すでに無化である。(存在と無)」
何かが破壊されたと言うためには、その何かを定立することが必要で、それは「存在を切り出すこと」であり、「無化」
「無化」こそが「意識は無である」と言われる根拠
ゲシュタルト心理学の「図と地」の概念
ルビンの壺の例が有名
「図」は意識が定立する対象、「地」はその背景
どのような定立も何かを背景と見なすことで成立する
「最初の無化」…どんな定立にも伴う、「地」を注目せず度外視すること
この「無化」なくしては「存在している」と言うことは不可能
→どんな本質であれ、それは意識の定立によってはじめて存在している
人間の自己同一性と考えられてきたものは即自、つまり意識によって定立されたものに過ぎない
一瞬一瞬の意識こそが人間の核
「存在の裂け目」…
どんな意識も〈何ものかについての意識〉、つまり
〈何ものか〉と〈自分自身〉を区別している
定立に伴う、度外視するという働きも無化だが、
志向性の区別を生む働きも無化
「意識は無を分泌する」
「脱自」…意識の無化作用によって、今この瞬間の意識が常に自分自身からずれていくこと
…「あるところのものであらず、あらぬところのもの」の意味
「事実性」としての私(あるところのもの)がどんなものであれ、私のあり方を決めるのは今この瞬間の私でしかない
人間は本来的に一人一人が違う実存を持っているので
他者との責任の共有は不可能
→自由は、苦痛であり、孤独なもの
【人間は自由の刑に処されている】
それでもその責任と向き合い
社会参加しなくてはならない
自由の中から生き方を選択
その人生に自分を【拘束】して積極的に社会参加する
【アンガージュマン】
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