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親友たちが書いてくれた真っ赤な封筒に入った手紙が、つまらない日常の中では大きく目立ち、それを端緒に寂しさを助長させる記憶が日常に突き刺さる。日頃のつまらなさや辛さを解消する「楽しさ」は、日常のモノクロさを増幅させる。楽しく、鮮やかな記憶達は、対比する単調で平坦な日常に影を落とす。 寂しさを埋めるために、楽しかった記憶達を振り返り、親友達の軌跡を辿る。手紙や、自分について記述されていること、親友達の経験してきたこと、考え。こうして一人でいるときに親友達について考えている自
出先の町でこんな広告を見つけた。「パンの半分以上がチーズ!」だ。チーズ好きにはたまらない商品ではないか。吸い寄せられるように店内に入っていった。商品は、大量のチーズが入っている、美味しそうなパンだった。 しかし、よく考えてみた。パンの半分以上がチーズとはどういうことなのだろうか。チーズの半分以下がパンなのではないか。半分以上がチーズということは、51%以上がチーズということは確定している。その上で、49%以下がパンであるということだ。この国の根幹をなしている民主主義であ
〜Passing 〇〇station〜車内に流れる表示は、高速で移り変わる車外の現在位置を刻々と映し出している。そんな表示に想いを馳せて、車外を見つめる東京人の一双の明眸は新緑で包み込まれた。数え切れないほどの美しい瞬間を捉えたフィルムのようなコマが脳内で記憶として保存され、過去の出来事となっていく。 5日間という短いようで長い、長いようで一瞬の日々は人生の大きな部分に鮮やかな痕跡を残した。日常から飛び出し、別世界の日常へと飛び込んだ自分を親友たちは受け入れた。何かして
国際都市東京。世界でも最も進んだ大都市で、開かれ自由を謳歌できる東京は、伝統的で封建的な側面の街を内包している。そんな街で生まれ、生活している自分は、そのことにアイデンティティを感じていた。 一方で、そんな表向きには、開かれた自由な大都市という出身地は、開放的で多様性のある都市という側面よりも、どこからでも誰かに見られていて、誰かとすれ違うリスクを抱えた超監視社会へと変形していた。普段のアイデンティティが自分を束縛するものへと変容しているのだ。 深夜、友人たちと電話
あの親子、そっくりだね。お父さんとお母さん、どちらに似ているの?よく聞くセリフだし、自分の年齢が上がるにつれて自分も同じようなことも言うのだろう。 競馬はやったことも、ほとんど見たこともない。サラブレットというのは、良い馬の血統ということのようだ。人間社会でも、いい血を引いているとか、いい血統の人、血統の原理などがある。現代社会においては古いとも言われるが、色濃く残っている部分もある。人間においてもサラブレットがいる。 血統は、顔や体型などの外的にわかるところだけで
時間は遡れないというのは、よく時間を戻ってでも変えたい過去や、やりたい過去、過ぎてしまった時間を語る時に使われる。社会は時間と共にどんどんと変革されている。技術進歩のスピードとそれに付随するサービスは凄まじい勢いで社会を変えている。 ニュージーランドに留学して数ヶ月。世界を震撼させた新型コロナウィルスが流入した。ニュージーランドにおいても例外なく。厳しいロックダウンが敷かれ、コロナを封じ込めた。日本に帰国する際、コロナウィルスによって変わり果てた生活様式には浦島太郎にな
英語の講義中、自由時間において、友人たちと就職活動の話になった。友人の兄が特技、バク転で通ったという話を聞いた。果たして就活における特技とは何が正解なのだろう。 そんな話をしていたら、話は大学と地名の関係にまで及んだ。大学名は、その大学の所在する地名が使われていることも少なくない。ハーバードや、オックスフォードも地名のようだ。そんな話の後、友人の友人がハーバードに行っていたと発言していた。詳しく聞いてみると、ハーバード大学に入学していたのではなく、ハーバードという街に行
人には理解されづらいけど、心の中で持っている趣味はたくさんある。その中でも、妖怪研究は最近密かに始めた趣味の一つである。 古文書などで妖怪に関する文献を探り、妖怪とは何なのかを研究するものではない。そもそも、この趣味のきっかけは、「妖怪はなぜいなくなったのか」という疑問から生じたものである。妖怪はなぜいなくなったのかという疑問に対する自分なりの答えは、「科学が証明してしまったから」である。そう、ここでいう妖怪研究は、「現代では科学で証明されてしまった古の妖怪探し」である
日本の首都は東京である。現代を生きる日本人の共通コンセンサスである。ある地域を除いては。古来から日本は天皇の居住地を国の首都とし、中心と考えてきた。時代によってその首都は遷都し、変遷を重ねてきた。 問題の原因はいくつかある。そもそも、日本の首都を定めた法律はない。明治時代に天皇の詔勅によって定められた日本の首都東京は、天皇が主権を失って以後、明言する文は首都建設法へと移行した。その後、首都建設法が廃止されて以降、首都東京は自明であるように法律上扱われてきた。 東京生
スーツをオーダーする時など、毎回丈の長さが話題に上がる。どのくらいの丈にしてもらうのかを話すのだ。自分の適切な丈の長さはどのくらいなのだろうか。そんなの身長を測って割り出せばいい。しかし、自分の身の丈というのは測れない。どうにかして身の丈を測ってみたい。 身の丈というのを知るのはとても重要である。身の丈に合った行動をしないと、評価が下がってしまったり、何をしても失敗するだけだからだ。数年前、大学受験に関して、文部科学大臣が「身の丈に合わせて」と発言し、炎上したことも記憶
思いついた時、やりたいことができた時、周りが見えなくなるほどに突き進む。自分は、そんな性格を持っている。 その思いつきは、夜に現れやすい。明日の朝をどのように迎えたいのか、明日何をしたいのか、寝る前に何をするのか。思いが将来に向いて、それに足らないものを追いかけるのだ。よくあるのは、夜に作りたい食べ物や、明日の朝に食べたいものを買いに行く。家族から頼まれたものは徒歩数秒であっても買いに出かけたくないのだが、自分の思いついたときは、徒歩で何十分かかろうとも突き進む。食べた
本を一冊も読んだことがない人はいないと思う。自分にとって本とは、筆者の世界に没入し、視点をインプットするものであった。 人の家には大概本棚がある。他の人の家に行ったとき、あんまり見てはいけないのかと思いつつ、どうしても気になって見てしまう。本棚はその人の視点と、冒険の歴史の塊なのだ。どこかのテレビ番組で、「なぜテレビに出る研究者は本棚の前で質問に答えるのか。」という疑問が取り上げられていた。その答えは、単純にいえば博識に見せたいからというものであった。その人の見ている世
昔から、「ない」といものの存在を信じるのに苦労していた。宇宙の先には、何もないという事実を告げられたときには何度も塾の教師に質問をして困らせた記憶がある。 何もない。その事実が存在しているではないかと考えてしまうのだ。何もないことがある。そこに何もないことなんてあり得るのだろうか。いまだに脳内で考えづらいことの一つである。 さて、悩んだときは文字に起こして消化すれば良いと気づいてからはや一週間と少し。久々の何もない週末を迎えた。いつの日か綴ったが、暇は自分にとってか