「好き」と「嫌い」のおはなし

2023/12/24 更新分

今日はクリスマスイブという事で、普通の人は家族だとか恋人だとか友人だとかと楽しい夜を過ごしているはずで、そんな特別な日にネットを見ている人はおそらくごく少数だと思う。

因みに僕はおそらく一人寂しく、シャケを食いながらブルアカの生放送を見てることだと思う、多分。

そういう日なので今回はちょっとめんどくさい話をしようと思う。おそらく今日のはほぼ誰も見ないはずなので

僕は今回の企画で色んな感想記事を書いているのだけれど、ほとんどルールというか縛りを設けない代わりに一つだけ意識してることがあって、それは「ネガキャンをしない」ことだ。

その理由はニッポン放送アナウンサーの吉田尚記氏がとあるラジオで語った「駄作を作ろうとして撮った監督はこの世にいない」という言葉が強く印象に残っているからで、僕は常にその言葉を頭の片隅に置きながら感想を書いている。(一回だけ破ってしまったが...)

その一方で、10年近くX(旧:Twitter)をやってて感じたことがあって、
SNSでの立ち回りの最適解がおそらく

強い言葉を使う
他人があえて言わないような事をはっきり言う
何かに対する悪口を言う
・(正しさを主張する)

で、この辺りを意識的に発言すれば特にこれといった技能やら文章力がなくても簡単に注目を集めることができる。端的にいってしまえば炎上商法と言うやつだろう。

強い言葉とはっきりと言う点は「自分の代わりに言ってくれた」「なんかクレバーだ」と発言の内容や良し悪し関係なく無条件に評価されるし、

特に何かに対する悪口に関しては現実でも通づるものがあって、好意的な話よりも誰かの悪口だとか批判だとか、そういうマイナスな話題の方が盛り上がりやすいし仲が深まるものだ。

同じ「ユウカ可愛い」的なこと言うにしても、
「ユウカ結婚しよう」より「男でユウカ嫌いなやつ、拗らせすぎてて人として致命的な欠陥を抱えているから世の中のためにも見つけ次第精神病棟にぶち込んだ方がいい」といった方が伝わるというか評価されるのだ。

その結果と、X(旧:Twitter)の数々の仕様変更によってTLは常に何かに対する強い憎悪の言葉が羅列される地獄のような様相を呈している
正直見るのがしんどい。

そういう性質だからか、周囲の耳目を集めるためだとか、承認欲求を満たしたいからだとかで次第に言動が過激になっていき、特に被害を受けているわけでもなく常に悪意の言葉の全方位レーザーを連写する「社会が産んだ化け物」となっていく人を何度も見てきた。

そしてそういう人は悪口が基本言語となっているから自分がどれだけやばいこと言ってるか自覚がないし、周りにもそう言う人が集まるから歯止めが効かなくなる。

つまり何が言いたいかというと、ネット、もしくは人間(おそらく後者)の性質として「悪意を評価する」性質があるのではと言うことだ。
(人間が進化の過程で得た危機回避能力のうちの一つだったりするんですかね?)

その一方で僕自身は人にそういう性質があることを理解する一方で、
そう言う「悪意ある言葉」と言うのが本当に苦手だ。

できたら現実でもSNSでも楽しいことばかり話してたいし、
「〇〇ってクソだよね」みたいな話をわざわざしたくない。

つまらんことより楽しいことを知りたいし、どうせ共有するならそっちの方が価値があると思う。それに何かが嫌いでそれのために言葉を尽くし行動するのに時間を使うのはそれ即ち狂人の行いだと僕は思うからだ。
人生の貴重なリソースである時間をそれに割くのは無駄でしかないのは自明だし、意識的にしてるのならそれは普通ではない。

だから僕は嫌いだったりnot for meなものについては一切言及しないように努めている。
(それでもたまにそういう事をしてしまうのだが)
それが僕なりの中指突き立てる意思表示だからだ。

できればもっと「なんか好きなもの」ばかりが共有される方向に世の中向かってほしいけれど、僕はそのために何かしらのアクションを取ることはないと思う。

それは僕の嫌う「社会が産んだ化け物」について思考するということで、それは即ち狂人の行いだと思うからだ。

だから僕は精々、楽しそうなことを言う人とだけ関わるようにするだとか、過激な人間を視界から遠ざけるだとか、それくらいのことしかしない。

もし仮にいたとして、これを読んだ人に何か意識を改めるだとかそう言うのも全く期待していないし、
僕は「悪口」より「なんか好きなもの」ばかりが溢れる世の中になって欲しいと思ってはいるが、そうなるとは欠片も期待してないし、できない。



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