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ご縁が生んだ流れは、そこそこ速く深かった

うっすら知っていたCiftの存在が、自分の中で大きくなってきたきっかけについては、こちらの記事に書きました。

「前は、ちょっとネガティヴにCiftを捉えていました。」  ://note.com/pieko/n/n8dab23b1c5f1

ただ、だからと言って「よし。Ciftメンバーになろう!」という思いはすぐには押し寄せてこず、代わりに新型コロナウィルスと、その感染拡大に伴う世界の変化が押し寄せてきました。

【話の流れがわかりやすくなる基礎知識】

だいぶ話がさかのぼりますが、私は大学卒業の翌年に15歳年上のアメリカ人男性と結婚し、娘を2人出産し、長い間「専業母ときどきゆるく単発の翻訳・通訳お仕事受注」という状態でした。

その後、30代も終わり頃、ご縁あってお料理の仕事をするようになり、レストランやカフェのプロデュースなどもし、また通訳・翻訳や英字メディアの取材ライターとしてもお仕事をいただいていました。夫とは別居し、娘たちと3人で暮らしつつ、経済的にも特に困っていないという、恵まれた状況だったと思います。

でも「この先の人生の中で一度でもサラリーマンをやってみたいと思うことがあっても、50歳過ぎてからでは私を雇おうという会社はないだろう。でも、40代であれば、社会人経験のないこの私でも雇ってみようという奇特な会社があるかもしれない。ならば、このタイミングでサラリーマンをやってみようかな」と思い始めたことと、離婚を渋る夫に覚悟してもらうには、私が「フリーランス」という収入の波がある働き方ではなく、「サラリーマン」として、少なかろうと毎月決まった額の収入がある、「安定した」状態になる必要がある(なんじゃそれ?と思う方も多いかもしれませんが、長く複雑な話なので端折ります)ということが分かったので、真正面から就活をし、採用してくれたIT/教育事業をしている会社に就職しました。

【安宅さんとCiftのことを話した頃の心境】

現在も基本的には「サラリーマン」で、仕事も会社も好きで、この状態には特に不満はありません。ただ、最初から「やってみようかな」というゆるい感じだったので、石の上にも三年も過ぎ、リーマン修行は一応完了したということで、もうそろそろ次の何かに向かって流れが変わる頃かなという予感もありました。

年初、まだコロナ禍が隣国の出来事だった頃は、年内に海外移住して起業することも真剣に考えていました。でも、世の中がどんどん変わり、少なくともしばらくは海外移住は実行できなさそう、という状態になり、また打撃を受けているからこそ、仕事の内容がよりchallengingになり面白さが増している、ということもあり、たぶんまだしばらくは日本にいるフェーズなのだろうなと感じていました。

夏の終わりがマンションの契約更新なので、このまま更新するか引っ越すかも考えるべき時期でしたが、駅チカで広く快適な物件だったので、更新でいいかなと思いつつ、「なんか違う」を胸に、SUUMOで賃貸物件の間取りを見て、「こういうのもいいなあ」などと漠然と考えていました。

【コロナ禍で、プチ欝?】

海外移住はしばらく無理。転職もいずれするかもだけど、今はこの先の事業の変化を見届けたい。いきなり地方に移住して「コミュニティづくり」と言っても、コンセプトも固まっていないし、資金も人脈も時間もない。あるのはふんわりした「私の妄想コミュニティ」だけ。
海外に住んでいる子供たちはしばらく帰国できないし、オンライン以外の食事会や飲み会もない。週4日在宅勤務はむしろそれまでよりも忙しく、一日があっという間に過ぎていく。

心理的にも肉体的にも、正体のはっきりしないものに忙殺される感覚が増し、同時に自分が退化していく気がしていました。ようするに「コロナうつ」の一種だったのかもしれません。

【Ciftのfounder健介さんからコンセプトレクチャー】

「4号棟は快適だけど、ぬくぬくしてると次に進めない。『職・住・人』のどれかを変えるなら、今の私に必要な変化は多分『住』で、それによってきっと他の2つも変わっていく気がする」

※私が住んでいた物件に、たまたま安宅さんもアメリカから帰国した最初の年に住んでいて、それが棟も偶然同じだったので「4号棟」

という話を安宅さんにし、そこからつないでいただいて、2日後にはCiftを立ち上げた「行動する哲学者」藤代健介さんから、「Ciftとは」をレクチャーしてもらうことに。それが5月後半。

パワポ資料をがっつり使った濃いレクチャーから、私がCiftのコンセプトをだいぶ誤解していて、むしろそれは私がやりたいと思っていることにとても近い、ということがわかりました。メンバーになるはっきりとした条件はないものの、何よりもCiftのコンセプトに合致しているか。Ciftそのものがメンバーの自己変容から影響しあうコレクティブなアート作品であり、社会実験なので、自分がCiftにどういう影響を与えられると思うかとか、何を実現していきたいか、といった話をする中で、お互いに「あ、来た」感覚がありました。

ちなみに、Ciftは創設初期は確かに健介さんが自分で選んだ「おめがねにかなった」人に声をかけていたけれど、今はメンバーであればだれでも新メンバーを推薦できるし、メンバーみんなで検討して、新メンバーになってもらうかどうかを合議制で決めているということでした。

「で、実はこの後1時間後にCiftメンバーとMTGがあって、りえこさんは僕が推薦者となって推薦することになるんですが、りえこさんとしては、もう入居前提で話を進めてよい感じ?それとも、まだ他の選択肢も含め、検討したいですか?」

「これ、もうこういう流れだと思う。私はそれに逆らわない主義なので、どうしたいか、というより、このまま流れに乗っていったら、私たぶん7月にはCiftメンバーとして渋谷に住んでいるんだと思いますw」

「僕もそう思います」

というやり取りがあり、ちょうど渋谷CastのCiftに1室空きが出たタイミングだったなど、やはりご縁としか思えない偶然が重なり、Ciftメンバーになることと、渋谷に引っ越すことが決まりました。

あ、でもメンバーになることが決まる前にもうひとつ「四者面談」がありました!そのことは次の記事に書きます。

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