子供が生まれながらにして巻き込まれている面倒なもの

誰が自分にとってかけがえのない存在なのか、という判断基準は、自分がその人をどれだけ想っているか、という、わかりそうでわからない曖昧なものではなく、自分の心の一部がその人に委ねられているかどうか、なのかもしれない。

子供たちを産んだ時、私の一部はどういうわけか彼女たちに委ねられ、抱きしめていても、離れていても、私は彼女たちに委ねられた自分と残りの自分を合わせることで、初めて自分として在るようになった。

そういう意味では、親になるということは、自分だけでは欠損した存在になることに違いない。

ひとりでは欠けているから、だから、私の残りの部分を預かってくれている存在が「かけがえがない」というのは、愛とは共存できないくらい利己的に思えるけれど、でもきっとそう。

利己的であることと、無私であることの共存が親心なら、子供は生まれながらにして実に面倒なものに巻き込まれているのだ。

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