リハビリとしての連珠

以前麻布高校出身の青嶋未来さん(将棋)、小島慎也さん(チェス)、望月正行さん(バックギャモン)が鼎談した時に「才能・努力・環境・情熱のどれが必要か」みたいなテーマになり、三者ともが違う項目を挙げたそうだ(記事はこちらhttp://shinyakojima-blog.blogspot.com/2019/04/azabu-home-coming-day-2019.html)。これは何も彼等のような超一流の人だけでなく、一般の方にも当てはまることだと感じている。

私の場合、連珠は突出して環境に恵まれている。新しく知り合った連珠の仲間には大変親身になっていただいてるし、同じ頃に始めたライバルも多い。将棋という文化と地続きのようなところがあり、元々の私の周りの方々からも理解をいただきやすかった。コアな活動拠点が同じ区内で自転車で行ける距離。子どもが手を離れて自分の時間が持ちやすく、生活が不安定だった若い頃より連珠に時間を割けられた。

物理的な面だけでなく、心理面でも連珠に向かう理由があった。将棋を一度は志た私は、いったい何だったんだろう?という自分探しだ。囲碁は親の目を気にしてうまくできなかった。将棋はプロという肩書を背負ってうまくできなかった。何者でもないひとりの人間として、競技に向き合ったらどうなるかというのが裏のテーマだった。

人目を気にせず連珠を伸び伸びやっている中で、これまでだったら褒められないような言葉をかけてもらったり、多くの方に励まされて驚く自分がいた。人から好意的に思われて驚いたのはつまり、自分自身が自分を凄くダメな人間だと思っていたということだ。私は他の分野のことをやって楽しく暮らしていても、心のどこかで将棋の世界でうまく頑張らなくて挫折した、将棋の神様に顔向けできない子だと自分を責め続けていたのだった。気づかないうちに。

親に反対されてまで進んだ学問の道で挫折したので、やっと見つけた将棋で生きていくしかなかった。将棋が全てだと思い込んでた。なのでうまくできなかったから余計に責めてたんだろう。

ゲームとしても連珠が好きになった。自由度が高く、前向きに絵を描くようにできる。序盤からワクワクできる。もしかして将棋がファムファタルでなかったのではないかーと気づいた時は驚いた。長年頭の中を占めていた雲がほどけるような感覚がした。

今こうしている時も、自分のように自分を責め続けてる人がこの世のどこかにいるのではないだろうか。何か環境を変えたり目線を変えれば雲が解けるのに、今いる世界が絶対だと思ってもがいてる人が。想像しただけで恐怖を覚える。どこかでその人に合うもの出会えれば、生き易くなるかもしれないのに。

不器用で生き辛かった私は将棋に救われた。そして将棋によって受けた傷は連珠で今癒されている。何がその人を救ってくれるなんてわからないのだから、この世に必要でないものなんて無いのだろう。将棋や連珠が人をどこかで救える存在として、この世に残り続けることを願う。

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