初心者の時こそ楽しんで

連珠を始めた時に嬉しかったのは、再び初心者になれたことだった。

一つ一つ階段をのぼる楽しさ、新しいことを知るワクワク感、初心者なんで!と甘えることができる気楽さ、失敗すら成長過程にいることを実感して楽しめた。

プロであった時は勿論失敗は求められてない。結果が全てだ。結果を出さなければ、社会に何も役に立ててないようで消え入りたくなった。出来て当たり前で、出来ないことばかりがクローズアップされるように感じてた。

最近将棋の級位者を取り巻く環境が昔と変わったなと思う。級位者大会や女性が楽しめる大会が増えた。とても良いことだ。でもサービス良く楽しませてもらえるイベントを見て、ある日ふと悲しくなった。

自分は努力して女性の中ではちょっとだけだけど強くなった。将棋に対する愛情があった。でも褒められることは皆無で、むしろ叩かれることの方が多かった。自分を、将棋の中では落ちこぼれ、将棋の神さまに顔向け出来ない存在だと、自分で思ってしまっていた。なぜこのような楽しそうなイベントに、自分は参加できなかったのだろう。

結果を出さなきゃいけない厳しい世界に身を置くことは、優しくされることよりも自分にとって魅力だったからこうなったのだ。楽しさを受け取るより与える立場であることは好きだった。後悔はない。だけれど、自分はちょっと特殊すぎる環境にいてしまったと思う。純粋に競技を楽しめないプロという立場。人目に晒され批評される立場。なぜ将棋が好きだったのに、素直に将棋が好きと言えないのだろうというわだかまりがずっとあった。

連珠では、必ずしも結果を出さなきゃいけない立場ではない。何者でもない自分が、再び盤の前に向き合ったらどうなるのか、それは一つの実験であった。肩書きに雁字搦めになって呼吸できなかった、昔の自分から脱却するためのリハビリだった。

このブログを書くのも一つのリハビリだ。将棋のことを書いたら、将棋のことを何も分かってないのに書く資格あるのかと自分の中で恥ずかしい気持ちがあった。偉そうに思われたらどうしようと、思ってることを言えない自分がいた。今でもちょっとだけ怖い。連珠の対局はお陰様でのびのびできてるが、書くのはまだ怖い。人目に晒されることが余程トラウマになっているらしい。

思ってることを思い、感じることを感じ、何者でもない自分で盤と向き合いたい。長年の願いを今連珠で叶えている。

競技者に悩みはつきものだ。其々の立場でその都度悩みが生まれ、初心者には初心者の悩みもある。でも楽しむことから一番遠い立場になってしまった私は、アマチュアの方が悩んでるととてももどかしくなる。全然悩まなくていいよ!私の分まで心から楽しんで欲しいと。誰にも引け目を感じることなく、その人のありのままの姿で堂々としていて欲しいと。くよくよしてるのは勿体ない。今を楽しんでと。

なかなかそれが難しいことも、連珠でひとりの競技者になった自分には分かるけれども。



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