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はじめての盤面一周旅行〜関東選手権振り返り〜

今回少し図面多めになるが連珠をあまりやらない人にも伝えたいことがあり残しておこうと思う。2勝3敗、負け越し同士で迎えた岡部九段との最終局、入賞にも絡まない、一番後方のテーブルでひっそりと行われた無名の一局が、私にとって記念すべき思い出の局となった。なぜなら、初めて盤面で一周旅行をしたからだ。それも全くの成り行きではなく自分で行程を描きながら。

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(対局は最もアンダー側のテーブルで行われた)

行き当たりばったりで攻められそうな所をとりあえず耕してるのが普段の私の連珠だ。この連珠は何を訴えてるんだろう?と声を聞き、その連珠の特性に委ねて行程を考える、いわゆる「構想を描く」ということができればよいのだが、まだ私の連珠はその域に達してない。声も聞かずに、あるいは声が聞こえずに(わからずに)船を漕いでいた。

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序盤まぁ色々あり図の局面。私は白の構想がさっぱりわからなかった。何をやりたかったんだろう?右側の空間を取ろうとしたのかもしれないが、私は逆に19の石を足場にして黒が空間を取ることも可能だと思った。さて右に行くか左に行くか。この連珠は本命が右側なんだと思った。広いからだ。ただ直ぐに右に着手するのは、まだ黒石が乏しく詰めろを続けて手番を握ることが難しい。左右どちらも単体で勝つプランが無いのなら、左を一旦耕して味付けしてから右辺に先着しようという構想を描いた。

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まずはここからスタートする。狭い土地なので決して攻め切るつもりではない。やりたいのは手番を維持し右辺への良い連携を残してから赤印への先着だった。

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ところが白の応手も最強ではなく、左辺単体で詰みそうな局面を迎えた。この図、暫く時間を使ったが際どく詰まない。

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しかし幸いにして、この詰まない筋は何かもう一つ種があれば詰み筋に化けることも可能だった。そこで下辺に爆弾をそのまま残しながら35と上辺に展開した。無論狭いのでここを戦場にするつもりではなく、白の反撃筋を潰しながら、狙いの右辺に繋げる意図で打った。

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白は無視することも反撃することもできずまだ言いなりになってくれた。ついに赤印へ旗を立てることに成功。今まで味わったことのない気持ち良さがあった。そして今となってはこの旗が最終目標ではなく、下辺の爆弾を活かす青印が最終目標となっていた。これが航海の中で生まれた拠点で、こういった「別の場所で戦うための味付け」は名人戦番勝負などで見たことはあったが、自分が打つのは初めてだった(たぶん)。

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上辺もいい感じに味を残せて、いよいよ爆弾と繋げる時が来た。青の旗を立てることにも成功。狙いは下辺からの緑ラインだ。

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51は興奮からか気持ちが先走ってしまった後悔の手。実は外止めだと詰みは無いことは知っていた。このような、止め方を限定する手は得になることもあり、下側しか止められないなら上で何かあるだろうと軽く打ってしまった。しかし局面を限定させてしまったので、黄色のところにもっと力を溜めればよかった。相手の間違いを少しは願った欲が出た手で、唯一の後悔の手だ。

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ただ上辺も奇跡的に攻めが繋がり、本当に勝てそうになってきた。こんなに長く黒が一方的に手番を続けることなんて滅多にない。65は上から中央の四追いフクミと、上辺の四、三、四三の両方を睨んでいて受けづらい。岡部九段も私も必死に読んでいた。単純な受け方に詰みが残るのが読めた。勝ったかと思った。

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放たれた66は唯一読みから抜けていた。残りはもう1分だった。相手の狙いがわからない、状況がわからない。なんだ?パニックになった。ノリ手が防げてちょうど勝ちの順と、保険を掛け剣先を三を引きながら先手で止める2つの手しか読めなかった。そして後者は負けはないが勝ちも無くなる。前者は相手の詰み筋を防げるからこれが狙いかと早合点した。

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後者が正解。私は白の本当の狙いに気づかず勝ちに向かったばかりに逆に詰まされた。最後は岡部九段が声にならないため息を漏らしていた。彼もこんな結果になるとはと思ったのだろう。99%黒が手番を取っていてこの結末は皮肉である。最後の最後で声を聞かずに我が道を行ったからだ。

頓死後のことも記しておきたい。呆然とはしたものの、昔みたいに絶望してない自分がいた。将棋の頃から何度も酷い負け方をしてきたので、どこか(またか)と思う気持ちもあった。以前だったら死にたくなってただろう。サバサバしている自分は、もうなにかを諦めてしまったのだろうか?寂しいことなのだろうか?

そうじゃなかった。あの時と今日の私とは違う。あの時、駒の声を、未知の局面の声を聞こうと耳を傾けたり、自分の夢を9×9マスの盤上に描いて縦横無尽に旅していただろうか?なんとなく行き当たりばったり動かしてただけではなかったか。私は船を目的を持って漕ぐ楽しさに今日は夢中になっていた。憧れの棋士がやってたような盤面一周の攻めを自分でも思い描くことができた。その充実感でいっぱいで、悔しいより幸福だった。

私は以前この記事で長期目標に憧れの棋士と盤上で対話すること、と書いた。今日はそれができた。勝敗は正直どうでも良かった。勝負師としては失格だ。やっぱり向いてないのかもしれない。自分は何故勝負をするのか、今もその理由がわからなくて続けている。でももしかしたら今日のような瞬間のためにやってたのかもしれないなと思った。

岡部九段は塩対応で有名?で口を開けば皮肉を言いケムにまく。自分の感情を素直に出すのが苦手な人だ。今日も「視界に入らないでください」と辛口ジョークで私を追いやっていた。でもどうだ。対局者になれば、嫌でも彼の視界に居座ることができる。色白な肌が真っ赤になっていく様を見ることができる。何度も自責のため息をつきながら、キワで凌ぐ手、わたしには浮かばなかった手を見せてくれる。これこそがご褒美だと思った。日頃優しい言葉をかけてくれないとか、何だって言うんだろう。対局さえできればどうでもいいと思った。一番間近で一番生きるか死ぬかの対話ができたら、他は何も要らない(ちょろい)。

この局は結果だけ見たら誰にも印象に残らない連珠だろう。いつものように岡部さんが勝った、で終わりだ。でも私にとっては、初めて構想を描けたこと、自分が何のために連珠をやってるか実感できたこと、2つの意味でエポック的な一局となった。きっとこうして、どこかで誰かの思いを乗せた対局が人知れず行われてるんだろう。盤上競技をする人たち皆んなに、今日の私のようにそれぞれの幸福を感じる瞬間がありますように。願いながら筆を置く。


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