強さの階段
「強くなるの早いね」とよく言われる。一年ぐらいで有段者になれたのは早い方なのかもしれないけど、自分としてはそう言われても全く浮足は立たない。上達の早さなんて大した意味を持たないと思っている。なぜなら私は将棋で僅か2年ぐらいでプロになり、その後全く強くならなかった経験があるからだ。
私のイメージする強さの階段はこんな感じ。
最初は足を出せばどんどん登れるぐらいの勾配だ。何かすれば身につきすぐに結果が出る。やればやるほど上に行く気がして楽しく、上達を実感できるため心は簡単に折れない。
当然ながら勾配はだんだんと急になる。身につきやすい基本をとりあえずおさえてしまうと、そこからの課題は難易度を増していく。ちょうど今自分はこの左側の方にいる感じだ。
しかし階段にいるうちはまだいい。なぜなら目の前に階段が見えるからだ。頭を傾けて見上げれば、階段の上の景色だって見えるかもしれない。あそこを目指せばいいのだな、自分はここが足らなさそうだな、と思うことができる。
階段を上ってしまうとこうなる。
雑で申し訳ないが、自分がどこにいるのかわからなくなる。見渡す限り砂漠。次のステップが右にあるのか左にあるのか、それともどこにもないのか、歩けば到達するのか、誰も教えてくれない。
砂漠の中で、これ以上強くなるのかならないのか分からない中で、自分を律して成長できる人が本当に強い人である。私は将棋の時に、そのような人を何人も見てきた。そして自分はこのずっと手前で挫折していた。階段が急になった時点で途方に暮れて、砂漠にいる人たちを指を咥えて見ていた。
なので連珠を始めた時も、階段の途中まではいけるだろうという予想のもとにやっていた。そしてどこかで挫折するだろうということも予測していた。自分の適性が、急な斜面を律して登ったり、砂漠の孤独に耐えうるものではないことは自分が一番知っている。
だから私の中では「ボードゲーム適性のない平凡な人間が、どこまで挑戦できるものだろうか」というのが連珠をやるにあたってのテーマだった。早いですねーと言われても心が動かないのはそういう理由である。
強くなったけれど、本当に強い人にはまるで勝てない。そうなってからが本当の戦いである。
願わくば、人生で一度ぐらいは砂漠の景色を見てみたい。環境や、興味関心など、強くなるために必要なものは適性以外にもある。今の環境は恵まれてるし、連珠ほど好奇心を持てるものはこの先見つからないかもしれない。どこまでいけるか試してみたい。
そしてやっぱりダメだったとしても、自分を自分で笑ったり蔑んだり見て見ぬフリすることなく、ダメだったけど頑張った、楽しかった、と堂々と言って終わりたい。
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