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この世界に存在する「はてしない物語」を想像する力 #PIECESの本棚


他のことを全て捨ててもいいからこの物語を読み続けたい、と思える本に出会えることは子どもにとっての幸福です。
私にとってミヒャエル・エンデの『はてしない物語』は、その類の本でした。600ページくらいあるこの本を読み始めた小学生の頃の私は、物語を読むのをやめられなくて学校を休みました(ハリーポッターを読んだ時も、やめられなくて休んだな・・・笑)。

この本のコンセプトは「あるファンタジーを読んでいた男の子が、そのファンタジーの世界へ入り込んでいき、また現実に戻ってくる」というものです。(詳しいあらすじは他のサイトをみてね!)

大人になって改めてこの物語を読むと、子どもに限らず、大人や老人など全ての人に小さく煌くダイヤモンドのような「想像力と愛」を渡してくれる傑作だと感じました。これは児童文学という枠には全く収まりきっていなくて、哲学書でもあるし、発達心理学の本でもあるし、社会学の本でもあるし、聖書の創世記でもあるような気がしてきます。

例えば、愛・想像力ということを軸にして、虚無や憂鬱、利己的な欲求、自己受容、自己、仲間・・・など、普遍的なテーマについて扱っていること。現代社会が抱える課題(時間に終われ、虚無感が広がっていること、利己的な欲求に支配されていること)を風刺的に描いていること。そして、私たち個人が成長する過程で出会う「社会や自分にどう向き合っていけばいいか」「自分や人を愛するとはどういうことか」という問いについても擬似的に体験できるようになっていること。
このように、私の筆力では到底語り尽くせない盛りだくさんな学びと示唆と愛に富んでいます。ので、この本の素晴らしさについては、書評が上手な方々にお任せしつつ、今回は、個人的なこの『はてしない物語』の学びついて少し記してみようと思います。


私たちの生きる「今」が無限につながり、巡り、織り合わされるこの社会について

『はてしない物語』では、主人公以外の登場人物(やもの)の、メインの物語(大筋)における登場シーンが終わると、その登場人物(やもの)のその後の物語の触りだけ紹介して、「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」というフレーズを用いて本筋に戻っていきます。

たとえば、こんな風に。

ところでエンギウックは、のちに非常に有名な、この一族では最も有名な地霊小人になった。もっともそれは学問的研究においてではなかった。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。
シカンダは、今もそこにある。なんの危険もなしにこの剣にふれることの許されるものがくるのは、まだまだずっと先のことだろう。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。

このフレーズは、小さい頃の私に、この世界には数えきれない人たちの物語があって、社会はそれが織物のように織り合わされて存在しているものなのだ、ということを教えてくれました。
「私の人生」という一本の道(物語)があって、そこへの登場人物としてのお母さんや友達や先生がいるのではない。それぞれに道(物語)があって、そこの登場人物としての「私」もいるんだということ。それは、これまでうまれてきた人間の数、生物の数、風の数だけあるということ。そして、それらは、ある瞬間、ある点で出会って、同じ道を歩む時があるけれどもそれは永遠ではなくって、道が分かれ道になることもあること。

このフレーズがあることで、そうしたたくさんの物語に想いを馳せることができるようになりました。だから、私はこのフレーズが大好きになりました。
私にも物語があるし、お母さんにも物語がある。友達にも物語がある。会ったこともないけれど、違う国に生きている子にも物語がある。そう考えただけで、わくわくしたし、勇気がもらえる。子どもの頃の私にそんな広い視点での想像力をもたらしてくれました。


想像力という人間の幸福について

物語を読んでいると、エンデは、私たち人間の持つ「想像力」という力を誰よりも信じていると感じます。
「想像力」がもたらしてくれる幸福は、目標を達成できるとか、より多くのものが持てると言った物質的でコンプリーダブルな幸福ではない。
今日よりもよい明日、を目指していくような幸福でもない。もっと、伸びやかで澄みわたり、全てを包み、そこに存在するだけの空のような悦びです。

この物語を読んでいると、私たちはいつから虚無に支配され始め、虚無によって起こった絶望感をかき消すかのように必死に働き、現実的な夢を持ち、消費にあけくれるようになったのだろうか、とハッとさせられます。しかし、人間はその虚無に対抗できる「想像力」をもっているという希望も同時に授けてくれます。

昨今はSNSやネットのコメントを読んでいると、悲しい気持ちになることがありますよね。普段は優しいひとなのだけど、SNS上で知らない人と意見の相違があると、心ない言葉や対立を煽るような投げかけている人も多い。何かバズるか、というところは考えているのだろうけど、それを受け取ったひとの心やその背景に広がる人生や物語にまでは想像が及んでいないのかもしれない。。。
(そうやって批判し合っている人たちも、本当はお互い愛し合いたいんじゃないかな、と思うこともあるし、そこに関連するテーマが『はてしない物語』にはたくさん描かれています。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。。。。!)

そんな風に、ふとスマホを開くと、いろんなひとのいろんな物語の断片が目に入ってくる時代になったからこそ、私たちはもともともっている「想像力」と一緒に、日々を過ごしていくことが大事なのかもしれないと思います。そうしていくと、もしかしたら、わたしたちのこの世界はもっと美しく、楽しくなるかもしれない、私は、エンデの物語を読んで、そんな風に感じました。

ちなみに最近は、周りでなぜか『モモ』を読んでいる人が多いので、ぜひエンデを語る会をしたいですね!
では今日はこの辺で。

青木翔子 Twitter note



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