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準備編~出発直前、心の葛藤~


#人間、合理的にはいかない#

■「二度の不安の波。そして親へ独立宣言」

完璧と思えるくらい準備は万端!のはずだった。
ただ、理屈通りには動けないのが人間。

1.背中を押してもらえる存在

5/20 出発4日前。

どうしよう、今になって不安になってきた・・・。
何で「東京から福岡まで自転車でいく」なんてアホなこと言っちゃったんだろう。
最初はやってやるぜー!って意気込んでたくせに、急に「やってみないとわからない」不安という謎の敵が襲ってきた。
やりたい!けど不安。そんな葛藤を繰り返して、自問自答していた。
試しに「やめてもいいんだよ?」と心に言ってみた。愚問だった。
今回の自転車旅をやった未来とやらなかった未来を想像した。
やらなかったら絶対に後悔する。「わたしは達成したい」
やることは決まっている。
じゃあ出来るように自分で自分の背中を押すしかない。
必死で出来る理由を探しながら、今日もGADOROを聴いて自分を鼓舞していた。何があっても「ありのまま行こう」

いつも通り池袋のベローチェにつくと、不安を拭いたくて、ひたすらペンを走らせていた。達成したあとの成長した私を書き出し、その姿を信じることでしか、精神を保てなかった。
それでも私の頭は心配の声や、周りの目、相手に迷惑かけないかな、コロナ禍で大胆な行動してたら怒られんじゃないか、事件に巻き込まれないか…
次から次へと負の感情が溢れて止まらなかった。

とうとうひとりでは耐えきれなくなった。私はベローチェを飛び出した。
抑えきれない恐怖心がわたしを襲った。居ても立っても居られず、わたしは、咲に助けを求めて電話した。

もともと、まわりにSOSを出すのが苦手なわたしだけど、この時ばかりは藁にもすがる思いだった。
「やりたいけど怖いよ…」「でも…だって…」口々にこぼれてきた。
言葉も声も怯えていた。涙が溢れてきた。
「大丈夫!あなたなら余裕だよ!」
力強く背中を押してくれた。その言葉がほしかった。
そして、「そんな時は頼れる人に相談するんや」と教えてくれた。
私は陽さんに相談したいけど、言いづらいとぼそっとこぼした。
うじうじしてる私に向かって咲は言った。
「言いたいこと言うって決めたんやろ」
グサッ。
私の心に言葉が刺さった。すぐ本音にフタをする私の核心を突いてきた。
「そうだ。私は本音で生きるって決めたんだ」
陽さんに今の気持ちを伝えてみよう。

「陽さん自転車旅やりいけど不安で・・・どうしたらいいですか?」
「私からアドバイスすることはないよ。行ってみたら良いよ。思ったことをやってみたらいいよ。」
すぐ誰かの答えにはまろうとする私に、自分軸で生きることの大切さを教えてもらった。
「わたしは、わたしが想うように行動していい」
わたしの意見を通してもいいんだ。わたしの意思を受け入れてもらえたことに、熱いものがこみ上げてきた。涙の数だけ心が強くなれる気がした。
「まわりからなんと言われても良い。わたしはやりたいからやるだけ。」
消えかけていた小さな灯火が、音を立てて大きくなっていった。

わたしは不安の第一波を乗り越えた。

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2.ギブの苦しみ

5/22 出発2日前

「できるぞ私」と前向きになるも、2日後。
再びの不安ちゃんが顔を出す。
続いての不安ちゃんは「与えなきゃ精神」の発動。
泊めてもらう場所を前もって探していた私は、
人の繋がりの多い人に力を借りようと声をかけていた。

コウさんにお願いすると、
相手目線にたって、自分は相手に何をギブできるか、という話がでてきた。自分本位。主観的。自己中心的。
「そうだよな、わがままだよね・・・」再びネガティブな感情が湧いてきた。また自信が薄れてきた。

わたしは今まで人の目を気にする生活を送ってきた。
何よりも「ふつう」であること。世間一般の意見に合わせる生き方をしてきた。
誰からも気に入られるように接してきたので、いわば八方美人だった。
相手の期待に答えることで、自分の存在意義を感じてきた。
でも、一番大切にしたいのは、自分の心だ。
今まで自分で自分を傷つけて疎かにしていたことに気がついた。
思い返せば、わたしは幼い頃から、小さな大人だった。
自分で言ってしまうが、聞きわけはいいし、手のかからない、優等生だった。大人しい性格だった。でも、もう自分を抑えるのは限界だった。
わたしは120%の我がままを表現してみたかった。
本当は「わたしが感じるままの人生を歩みたい」
体の内側でずっとずっと叫んでいた。心の自由を求めていた。
もし、主観的に生きた先でわたしを受けれくれる人がいるのなら
我がままな人生の方が幸せじゃないか。

わたしは、せっく宿泊場所を探してくれるコウさんの協力を断るのは心苦しかったが、勇気を出して本音を伝えた。
「わたしは、今回は主観を貫いてみたいです。」
すると、
「逆におもしろいかもね。俺も主観の旅みてみたい。」
意外にも興味を持ってもらえ、応援の言葉をもらった。
よく言えたわたし!これからは、本音で生きるんだ。

わたしは不安の第二波を乗り越えた。

3.最後の難関、母親への独立宣言

計画もばっちり、心の覚悟もできた。
いよいよ、出発を目前にして、最後の難関。
母親への報告だ。言うか言わないか迷ったが、私は嘘がつけないので
結局報告してから出発することにした。
離れて生活している母へ電話をした。
着信音が鳴り響く。そわそわそわ。
きっと不安に駆られることは分かっていた。でも、伝えよう。
「もしもし、どうした?」
「あのさー、明後日から福岡まで自転車で行ってくるわー」
まるで「近くのスーパーまでちょっと買い物に行ってくる」
そんな軽いノリで話した。
「は!?」
理解不能そうな反応だ。そりゃそうだ。
いきなり娘が無謀なことを言い出すのだから。
しかも、明後日出発するという急な話だ。
「何でそんな大変なことするの・・・。お金ないならわたし出すよ。」
心配されることは分かりきっていた。
不安が膨張し、母を泣かせてしまった。
予想通りの反応だった。だから、わたしは中途半端には伝えたくなかった。自分のやりたい気持ちがぶれてしまうと思ったから。
敢えて、全部の準備が整ってから報告したのだ。止められても実行するから。

決意は固かった。お金とか云々の話ではない。
わたしは今まで、母の機嫌を損ねないよう、母の期待に答えるために生きてきた。
いつまでも依存したくない。私は、私の生きたい人生を歩むんだ。
もう誰のためでもなく、自分のために生きるんだ。
曲げない信念を持ち続けた。
「もしもの時は、やめる選択肢もあるからさ」
と安心させるために言った。
心の中では福岡まで絶対ゴールすると決めていたけどね(笑)
「大丈夫だから!いってくるね!!」
最後は、半ば強引に電話を切った。

それでも、気がかりな母の思いを汲んで、GPSを付けた。
いつでもわたしの居場所がわかるようにした。
そして、出発と目的地到着時に毎日ラインを送るという約束をした。
(後日、わたしのインスタグラムの発信を見ることにより安心したみたい)

わたしは心配をかけたいわけではない。応援してもらいたい。
そのためには、やりたいことを達成するんだ。
行動と結果で魅せるんだ。

4.出発前夜

5/23 出発1日前

出発を明日に控え、わたしは今までの人生を振り返っていた。

本当は誰よりも弱いのに、つい強がってしまうわたし。
やりたいことは最後までやり遂げて、みんなには楽勝のフリしてた。
苦しくても一人で耐えてた。弱音は吐きたくなかった。
実は誰にも見られないところでこっそり一人泣いていた。
その度に、出来ないことが悔しくて、また立ち上がっての繰り返し。
ずっと自分との戦いをしていた。
強がりのわたしが根付いているから、まわりに弱いわたしを見せるのが怖かった。
出来ないわたしを見せるのが嫌だった。いつだって負けたくなかった。
周りに受け入れられるのは強いわたしだと思っていた。
周りに「助けて」って言えなかった。言ってこなかった。否定されるのが怖くて。
失敗を恐れて。いつも完璧をめざしていた。優秀な私しか許せなかった。私自身が。
だめな私、出来ない私は認めたくなくて、弱音にフタをしていた。

そんなわたしを手放す日がきた。
わたしの中では我がままを貫く大挑戦。
きっと、ありのままのわたしを受け入れてくれる人はいる。
あとは信じるだけだ。

すると、急に心の糸が切れたような感覚がした。
心のなかで渦巻いていた、モヤたちがすーっと消えていった。
すべてが吹っ切れた。
「何とかなる。死ぬ訳じゃないし。誰に何と言われようとどうでもいいや。怒られても謝ればいいだけ。」
開き直っているわたしがいた。
びっくりするくらい今までの不安がうそのような、
張り詰めていたものが溶けてなくなる感覚だった。
追い込まれた先で「無」の境地と出会った。

今まで支えてもらった仲間たちが味方だ。わたしは何があっても大丈夫。
嵐の前の静けさを感じながら、時が来るのを待っていた。
やっと始まる。自分自身との長い葛藤がやっと終わる。
「早くスタートしたい」わくわくよりも
「早くこの不安から開放されたい」
何とも言えないそわそわした感覚を抱えながら、
眠れない夜が過ぎていった。


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