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誰のための利益

騒動

つい最近内閣府の文書に中国国営企業である国家電網公司の電子透かしが含まれていることが発覚し、ちょっとした騒動となった。この電子透かしは内閣府の再生可能エネルギータスクフォース(TF)メンバーであり、自然エネルギー財団に所属する大林ミカ氏が提出した資料に含まれていたという。それが判明したからか、大林氏はTFメンバーを辞任したが、内閣府の「中国企業の資料を使いまわした」という説明は偽りだという指摘もある。そして現在、大林氏の本名、国籍、出身大学など、その素性について多くの疑問が投げかけられていて、再生可能エネルギーTFの設立目的や必要性、そしてTFを立ち上げた河野太郎規制改革担当大臣への批判も高まっているようだ。

今回の問題で不自然な点があれば徹底的に追求することの重要性を感じる。それはいつもできていないことだが、同じ過ちを繰り返さないためにも、真相究明と適切な対応が必要だし求めたい。この問題は、ただの一個人が単独で利益を追求しているなどというものではなく、国家運営に関わる重要な問題だ。しかも今回は中国国営企業である国家電網公司が絡むため、経済安全保障の範疇に及ぶ大きな問題だろう。

大林ミカ氏は再生可能エネルギー業者の利益を守る立場からというのを見ても完全なる利害関係者だ。このような人物や組織が再生可能エネルギーTFのメンバーとして適切なのか疑問が生じる。さらに同様の組織や利害関係者が再生可能エネルギーTF内に存在するという事実も問題だろう。これら問題を踏まえると、再生可能エネルギーTFの存在意義が問われると同時に、国の政策の中核を担う内閣府に設置されていることも矛盾しているとも思う。そんなことをつらつらと見つつ、思いつつ、私の普段から抱いている再生可能エネルギーに対する思いを再認識した。

メガ

私は再生可能エネルギーに対して多少懐疑的で一部に対しては否定的だ。基本的に温暖化にも懐疑的であるからか、温室効果ガスではなく必要以上に環境を変えるものを嫌うのかもしれない。私が思うのは特に太陽光発電と風力発電だ。太陽光発電、特にメガソーラーは環境も景観も治水も破壊している。西日本に住んでいるので日本全国の実感は分からない、しかし、この西日本においてメガソーラーは酷いという印象と実感がある。住んでいる場所は大都市で以前はその中でも大都会にもいた、そこから少し行くだけで小規模なメガソーラーを目にするのは簡単だ。ただ車で少し走るだけだ。そこは頻繁に通る道ではなくとも、かつて頻繁に通っていた道で、初めてメガソーラーを目にしたときは絶句した。酷いという思いしかなかった。

私はあまり感傷的になったりはしない、それに取り立てて自然を大切にしているとも思わない。しかしそこがただ道沿いの私有地の森林であっても、草地であっても、こんな私であっても、あの一面の光景を目にすれば分かるはずだし変わるはずだ。人工物に代わってしまった景観は酷いもので、元からがけ崩れの後や荒れ地だったとしても、その比ではない。そして例えば阿蘇にでも行くとバカみたいにメガソーラーに出くわす。いや阿蘇だけではなく、旅行や遠出をして山を走っているとそういう場面に出くわすことが多くなった。どこにでもある。そしてそれはどこでも景観を破壊しているのだ。

私はあの一面のソーラーパネルを見れば不安になる。それは治水への影響のことだ。どうみても木々が必要な場所や、それも含め広大な急傾斜地の一面が埋め尽くされていたりするからだろう。その論理的な不安もあるが、見ただけで圧倒される異質な物体に対する漠然とした不安もある。次に思うのは自然災害におけるリスクの問題だ。日本は地震や台風、豪雨などの自然災害が多い国であり、山の中や急傾斜地にメガソーラー施設が多数存在することは災害時の被害の拡大につながるかもしれない。実際は太陽光パネルだけなら破損すれば感電するわけでもない、しかし電気設備も含めれば危険は増す。もちろん安全装置もあるだろうし管理が行き届いている施設もあるだろう、しかしそうではない施設の存在を思うと不安があるのは仕方ないことだ。

建築技術

そしてこれは随分前だが島根から鳥取に旅行したときに風力発電の施設に出くわした。出くわした瞬間に驚いた。見るだけですごいのだ。その時の印象ではメガソーラーどころではなく、当時はメガソーラーが一般的ではなかったというのもあるが、その巨大さに驚いたのだ。そしてすぐにそれを作った人間の建築技術のすごさや多少の傲慢さを感じた。やっぱりあれを作れるのはすごい。そしてそれを作ってエコだというのは多少傲慢だなと思った。すぐに思ったのは鳥への影響、音の問題、そして景観破壊のことだ。一度見るのはすごい。それを景観破壊というのなら都市にビルが建っているのと何が違うのだと思わなくもないが、実際は全然違うと思った。

風光明媚とまでは言わないまでもと書こうとしたが、やはりそれなりに風光明媚な場所に、あれほどの人工物を立ててしまうのは、ある意味素晴らしく、同時にとてもエゴイスティックなことだと思う。メガソーラーでも同様だが私は景観破壊というだけで環境破壊と思っている。それに実際のところでは音や光の害、そして鳥への影響も事実としてあるだろう。そんなものはどうでもいいさ、人が住まない場所に作り、多少の鳥への被害は仕方ない、そう考えるのもいい、だがそれはクリーンではない。そのような問題をはらんでいて日本全国に風力発電の風車は並んでいる。そう思うとやはりなにかひっかかるのだ。

誰のための利益

環境保護という一見正当で抗いにくいものを振りかざし、その実は環境を破壊したり、不当に利益を得ている者がいるように感じられる。環境にやさしいという太陽光発電や風力発電にはかならず補助電源が必要で、現在ではベースロード電源がそれにあたり、それは火力発電や原子力発電だ。太陽光発電や風力発電は決してそれだけでは主力とはなりえず、それに再エネ賦課金を払っていて、それは年々増加している。電気を使う量によって変わってくるが、今年は一般的な電力消費と考えた場合、世帯当たり年額1万6752円となるようだ。この問題を見ていて目にとまったキヤノングローバル戦略研究所の記事を見れば本当の負担は一人あたり2万2716円、標準的な三人世帯なら6万4554円だそうだ。賦課金としても負担するが大半は企業が負担するものを含めてということのようだ。

書き手の杉山大志さんが示していて、読んでいると途中でああそうかと分かる。家庭では企業分の電気料金が上昇し賦課金も上乗せされている。普段の生活の電気料金の上昇はその二つがセットだ。また企業が負担するものは電力会社だけではなく、そのほかの企業も同様で、それは結果的に物価上昇や給与減少につながる可能性がある。こういう現実を見ているとこの国のシステムが首の回らない状態になっていると思えて仕方がない。そしてそれらのお金が特定の受益者に渡っているとすれば先は暗い。それが弱肉強食の世界とでもいうのだろうか。それならば正当な競争や正当なシステムが必要で今回はそのきっかけとなればいい。今回のことをきっかけに、ちゃんと見て、発言しなければならないな、と思った。



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