セックスレス

ビーチグラスには罪はないのだが、ビーチグラスを直視できない日々が続いた。
そのころ就職のために松戸の近くで一人暮らしをしていた。ビーチグラスは窓辺を飾るインテリアだったのだが収納の奥にしまわれることになった。

ある晩、20歳前後から数年付き合っていた清くんという人が組んでいる社会人バンドがライブをすると言うので仕事終わりに学芸大学へ向かった。
メープルハウスという甘そうなライブハウスだった。薄暗く10人くらいしか客が入らないようないびつな形状のフロアで、チケットと引き換えにハイボールを飲みながら演奏を聴いた。
その中にサスケの「青いベンチ」と言う曲があった。
清くんはあいかわらず眠そうな目と優しい声をしていて、わたしは付き合っていた頃の気持ちに一瞬で戻ってしまったのだった。

清くんは学生時代テレアポのアルバイトをしていたためか、喧嘩をした時などクレーマーに対応するように冷静にこちらをねじ伏せるようなところがあった。
その感情の押し殺し方と理詰めのナイフの切れ味は凄まじく、尊敬しながら少し怖かった。
とても頭の切れる人だったのである。

それから数年、会えば昔を思い出す関係が続いた。
清くんはいつ会ってもスマートかつソフトで優しい声をしていた。
しかしわたしも清くんも復縁に慎重だった。
セックスレスだったのだ。

清くんと2人で遊んだのは28歳の夏が最後である。
海が見たくて江ノ電に乗り由比ヶ浜へ行った。
波打ち際を歩くと自然とビーチグラスを探してしまう。
「何見てるの」
と清くんは聞いた。わたしはビーチグラスの説明をした。
由比ヶ浜にはビーチグラスは見当たらず、わたしは赤や緑の小石を拾った。

鶴岡八幡宮の売店で石を眺めていると、清くんが石を手に取って
「砂岩」
と言った。
レキ岩、泥岩、火山岩。
清くんはその場で石の種類を調べてくれたのだった。

帰りに駅のホームで麩帆で買った麩饅頭を食べた。
ひんやりした笹の葉をたたみながら
「結婚しようかと思う」
と伝えると、清くんはつまらなそうな声でへえと言った。
わたしは感情的に求めて欲しかったのである。
行かないで、ずっと一緒にいたいと言って欲しかった。
それから鎌倉には行っていない。
清くんは今年結婚するそうである。
#エッセイ

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