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Picture This Japan

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横浜インターナショナルユースフォトプロジェクト卒業生たちのコラム。日本各地、海外で活動する多様な若者たちの思いち言葉に触れてください。Picture This Japan編集部
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#中国

上海紀行

8月に上海に滞在したときに撮った写真を紹介したい。 今回は、叔母さん一家4人が先に上海に戻り、その後に私と母親、祖父の3人が上海に行って合流した。滞在中は毎日のように、叔母さんの夫一家と食事した。出かける時も、送り迎えもしてくれて大変お世話になった。 上海はとてもおしゃれで活気のあふれる都市だった。特に外灘エリアの街並みと、アオギリの並ぶ道路が素敵だった。現代的な景色と歴史的な建築がいい具合に融合しているので、住んでても飽きない場所だと思った。 13年ぶりに行ったが、前

ライフストーリー②小学生で来日・感じた違いや苦労したこと

日本にきた経緯前回のコラムで書いたように、両親が日本に定住したため、私は祖母に育てられた。だが「いつかは日本に行って両親のもとで暮らす」と言われたことはなかった。自分もそのままの暮らしが変わらずに続くと思っていたが、小5の夏休みに日本を訪れることになった。両親を訪問して旅行する予定だったが、そのまま残って日本の学校に転入することになった。あとから母親から聞いたが、「日本に来るのが嫌なのではないかと心配して言わなかった」そうだ。そんな訳で、何も準備せずに日本での生活がスタートし

ライフストーリー① 中国で過ごした幼少期・両親と離れる思い

私は10歳の時に両親と再会するために中国から来日した。言語や文化の壁にどのようにうまく付き合ってきたのか、大人になった今、振り返った時の新たな気づきを共有しようと思う。それだけでなく、日本にいる年数が長くなるにつれ自分の考えはどのように変化していったのか、周りの人とどう関わっていたのか、幅広く書いていきたい。 「外国につながる若者」の一人ではあるが、自分の経験はユニークである上、主観的に書いている。しかし、この経験は日本社会という文脈で形成されたものであって、そこの普遍性は