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コラムvol.3 PULP FICTION/Quentin Jerome Tarantino

連れて行かれるのが、嫌でした。僕は、ギリギリまでブラウン管TVに写し出される"サイボーグ009🔫"に釘付けのフリをしました。そりゃ好きですよ、ワクワクしますよ。僕がドイツ贔屓で、全身兵器人間贔屓なのも"004/アルベルト・ハインリヒ"のせいですよ。でもそこまでじゃない。どのみち再放送だし。毎年、この日、地蔵盆の夜にだけ会う、近所のひとたち、大人の気を遣った顔と、どうせまた明日から会わないと分かっているから、お互い気まずい態度になっちゃう同年代とのひととき、それが嫌でした。

でも、家の外に出ると自然に足が向きました。日は落ちているのに、湿った外気が火照りを残し、歩く度にムッとした草やアスファルトの匂いを嗅がせてきました。僕は誰かに先導される訳でもなく、その方向に向かいました。"ぼぉん"という、角の取れた優しい音ながら、身体全体に響く破裂音が徐々に大きくなり、憂鬱なんかすっかり忘れて現場に吸い寄せられるのでした。

音楽を自分の意思でチョイスして、好みの環境で聴く満足は筆舌にし難い喜びですが、突如訪れる音楽体験は全く別の新鮮な喜びを与えてくれます。身体全体をアンテナにして、音のする方角や発信源の高低、遮蔽物の有無、そこに作為が有るのか無いのか・・視覚情報よりも根源的なスピード感で処理され、リアルタイムで探る感覚は極上のミステリです。

クエンティン・タランティーノの映画「パルプ・フィクション」は、中学生の僕に、初めてその面白さを"視覚的に"体験させてくれた作品です。

ジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンがアメ車に乗り込み、エンジンキーを捻るとカーステからゴキゲンなサウンドが流れ出します。クール・アンド・ザ・ギャングの「ジャングル・ブギー」(このとき、それまでのシーンがセリフのみで無音だったと気付きます)

目的地に着き、カメラの視点が2人のいる車内からアメ車を見下ろす広域に変わると、音が一段下がります。まさに、この視点からだとそのくらいに聴こえるだろうな、という音量です。ニクイ演出です。クルマから降り、建物に近づき、扉を開けると大音量の音楽が溢れます。クラブなので防音が完璧だったのだな!!!!

タランティーノ監督は曲のチョイス🎧も最高ですが、使い方も上手い。そんな事を思い出しました。


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