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じぃじとの別れ、その後

前回はおじいさまと娘ちゃんがお別れすることになる、そのときの様子を書かせていただきました。

娘ちゃんがその後の日常をどんなふうに受け止めていたのか、A先生にお聞きしました。

以下、A先生のお話です。

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冷静に受け止めていた時期


当初は、じぃじの死を娘は割と冷静に受け止めていました。
娘は以前から映画『リメンバー・ミー』が好きで、何十回と繰り返し観ていました。そのたび、登場キャラクターのセリフや反応、“死者の国”が本当のことなのかなどたくさんのことを質問してきました。「死んだあとのことを人は知らないけれど、リメンバー・ミーの物語の中では死者の世界がある」「いろんな考え方があるんだね」など伝えました。そのようなやりとりの積み重ねが、じぃじの死の受け止めに影響していたのかもしれません。

実際にじぃじとの別れを経験し、ちょっとかわいいギモンも。

骨と話せる?!
葬儀後のある日、同じ敷地内にある祖父母宅でばぁばが、じいじの祭壇に話しかけているのを庭から窓ガラス越しに目にした娘。
「ばぁば、何をしているの?」と訊くので、「お骨や、じぃじの写真と話をしているのだよ」と伝えると、「耳がないのに話しても聞こえないよ」と納得できない様子。ばぁばにも直接「骨には耳がないから話してもしょうがないじゃん?」と言っていました。

空から見守っているってホント?
一般に言われがちな”亡くなったじぃじは、お空から見守っているよ“についても、「それってどういうこと?壺が空に飛んでいくの?」「じいじは骨になっているんだから、空から見ていないと思うな」「体もないのだから娘ちゃんたちのこと守れないと思うよ」と。

なんで人は死ぬの?
娘がそう聞いてきました。「年を取ると体が疲れてくるから一回お休みして、赤ちゃんになってまた生まれてくるのかもね」と私が答えると、「じぃじがまた生まれ変わるの?じゃあ私が生む!私のおなかにくるかな?」と言い終わるや否や、ハッとして「絶対生みたくない!でも…」と真剣に葛藤しています。出産=激痛というイメージから、絶対に子どもを産まないと決めているのです。娘には「産むときは痛かったけれど、かわいい娘ちゃんが生まれてきてうれしかったよ」と伝えているのですが、「わたしは赤ちゃんは子どもはゼッタイ産生まない」と言っています。

こんなふうに、死の事実を受け止めているかんじで、しばらくは「悲しい」「寂しい」という訴えはそれほど多くありませんでした。


やっぱり、じぃじがいい


四十九日の法要を過ぎたあるとき急に、じぃじがいなくなった寂しさに気づいたのか、「じぃじがいなくてさみしい」「じぃじがよかった」と一日中言い続ける日が続きました。数か月たったときも1日2、3回は言っていました。


じぃじは優しくて子ども好きで、怒りを表出するところを見たことがありません。器用でいろいろなものを作ってくれ、自分の思うとおりに遊んでくれたじぃじのことが娘は大好きだったのです。

そのじぃじに比べるとその他の人の応対は娘には強く、怒られると感じることもあるらしいのです。一層”じぃじがいい”、“じぃじに会いたい”という思いを増しているようです。


こんなふうに、時間の経過とともに寂しさを実感してきているのかと思っていたのですが、これほど寂しいと言い始める前、じぃじが亡くなって1ヶ月半たった頃に印象的な出来事があったことを思い出しました。

保育園にお迎えに行ったときに、子ども同士が自分のおじいちゃん・おばあちゃんがどこに住んでいるかというのを口々に言いあっていました。

ある子が「ぼくのおじいちゃん・おばあちゃんは3人死んじゃって、ひとりしかないよ。」とケロっとした感じで言うと、娘が「3人も死んじゃったの!それは寂しかったよね。」と返していたんです。

そんなふうに適切な返しができているのに驚いたのだけれど、それはじぃじが亡くなって「寂しい」という思いを経験したからスムーズに出た言葉だったのかなと思いました。

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A先生のお話はここまで。

ちなみに、このお話を聞いたのは1か月ほど前のことなのですが、この頃の娘ちゃんは、じぃじの話をすることは少なくなり「寂しい」と突発的にメソメソすることはなくなり、普通に会話の中にときどきじぃじの話が出てくるという感じだそうです。


死生観も死者の送り方も様々だと思います。

私の周りでは、四十九日や新盆など、一年の間に様々な法要を行うことが多いです。これは、死者があの世に行けるよう祈る儀式であると同時に、残された家族が気持ちを張って過ごすためでもあると聞いたことがあります。

娘ちゃんの場合は、法要に参加する経験を重ねることで”じぃじは優しかったなぁ”、“やっぱり大好きだなぁ”と確認したり、言葉にしたりする機会になるのかなと思いました。

時間的な距離を置いて見えてくること、言葉にできることありますよね。


それでは今回はこのへんで。

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