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くるりんさんからのメッセージ

2回に渡り、息子さんの小学生時代から、ゲームクリエイターとなられた現在までのお話をレポートしました。
いかがでしたでしょうか。

くるりんさんのお話を聞いていると、ナイスタイミングでナイスな出会いがあったのだなと感じます。


くるりんさんや息子さんの日頃の行いが素晴らしかったのだ!日々徳を積むことが大事なのだ!と言うこともできそうですが、それだけではないはずです。


くるりんさんと息子さんの信頼感の交換、察しあうコミュニケーションを超えた言葉のやりとりが、コツコツと積み重ねられてきた過程が見える気がします。

最後に、“学校にいかない選択をしている子どもさんと今まさに共にいるお母さん・お父さんに伝えたいこと”をくるりんさんに尋ねみると、次のようなコメントが返ってきました。

良い意味で諦めることだと思います。 
自分の人生と、この子の人生は、それぞれ別のものです。別の人間、別の人格、という切り離した考え方ができるようになったことが大きな転機でした。本人の意思を尊重し、本人の選んだ道を応援していこうと、決断することができたのが良かったです。
これは、小学校に行き渋る息子との壮絶なバトル、その究極を味わわなければ分からないことだったかなとも思います。
親が不安に思うと子供も不安になり、自信を無くす。
子どもを信じきることが大切。
学校に行かないという選択ができるということは、周りに流されずに自分の思うことを行動できるということ。“そういうことができているこの子は、絶対に大丈夫”、そう親が思えれば、子どもも自分は信頼されていると思え、安心して穏やかな性格になるだろうし、自信も湧いてくる。
でもいったいどうしたらそのように思えるようになるのか。
それは自分で見つけるしかないのだと思うのです。

息子さんの不登校を経て親と子は別の存在と考えるようになったという、くるりんさん。
今回お話をうかがっていても、母としてのくるりんさんが、息子さんとの間に一定の距離を保ちながら、見守り続けておられる様子が想像されました。そのスタンスがこの言葉にも通じているようです。


それは、親が、子が「一人で/自力で乗り越えなさい」と言っているとは異なる、“きっとできるよ”というメッセージが込められた「自分で見つけるしかない」だと感じました。


この記事を公開するにあたり、私の上記感想を含めた原稿をくるりんさんに見ていただいたときの次の言葉も印象的でした。

「見守る」という言葉が、どうもわたしにはピンと来ないのです。
「見守る」というと、息子に対して上から目線のように思います。そうではなく、わたしの中では、わたしが息子の後ろからついて行っているような、“ほんとにこの子ってすごいな”って思える部分がたくさんあるのです。
学校に行かないことも、学校に復帰したことも、わたしには到底できないすごい選択。
いろいろな困難もありましたが、その都度の取り組みいろいろを含めて、上から目線では見ておりません。
どう言い表していいのか難しいのですが、見守っているというよりも、“一緒に生きてきている面白い/興味深い人”というような感覚なのです。
自分と子供を切り離して考えられるようになったころからは、親として子を見守るというよりも、一人の人間として、対等な立場と感じています。


このコメントをお聞きして、くるりんさんの息子さんに対する眼差し、息子さんとくるりんさんそれぞれが立つ場所や目線を向ける方向が目に浮かびました。


くるりんさん、貴重なお話をありがとうございました。


くるりんさんが東京シューレの研修プログラムに参加されたのも、ご自身の経験を活かせたら…とのお考えがあってのことだそう。

もっとくるりんさんの話を聞いてみたい!くるりんさんと話をしてみたい!という方がおられたら、ここかTwitterのDMで私にお知らせください。

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