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くるりんさんの子育て談②~中学校、そしてゲームの世界へ~

くるりんさんの子育て談①では、小学校→フリースクールA→フリースクールAからの独立の過程、そしてその中でくるりんさんご自身の変化を聞かせていただきました。

その後、どんな道を歩いてこられたのでしょうか?

中学校復帰は突然に…


自宅で過ごしていた中学3年生の9月頃、卒業アルバムへの参加の仕方について中学校の先生から電話がありました。

先生から私にいくつか提案があったのですが、そのことを私でなく本人に直接話してほしいとお願いしました。本人の希望を親は100%尊重することも伝えました。

数日後、先生から息子に電話をかけてもらい、私は何も知らないフリをして息子に取り次ぎました。電話を終えて息子は「先生と話をすることになった」と。1年半ぶりに学校で先生と話をすることになったのです。事前に私からは先生に、「もしかしたら話の途中で帰ってしまったり、スマホをいじりながら話したりしてしまうかもしれませんがお許しください」と伝えておきました。

当日、長いこと先生と話をしたようです。なかなか帰って来ず、心配して待っているとようやく帰ってきました。帰って来るや否や「来週から学校へ行くことにした」と言うのです。

そこからの展開は早かったです。中学の制服を購入していなかったのですが、制服やカバン、体育館履きまで必要なもの全てを先生が大変なご苦労をされて探してくれました。

それらが揃うまで保健室で過ごし、10月半ばから教室に合流しました。

中学3年生で受験に向かうモードの教室に全く中学生の勉強をしていない息子が加われるのか、母としてはとても不安でした。息子も不安はあったようですが、もう家にいて退屈な日々を過ごすよりは勇気を振り絞って学校に行ったほうが良いと思ったのでしょう。教室に行く初日はかなりがんばって、溶け込めるようテンションをあげて自己紹介をしたと言っていました。

ラッキーだったのは、合流した直後の体育の授業が、サッカーとバスケだったこと。それらは息子がもともと得意だったので、クラスメイトから“不登校だったのにスゲーじゃん”と認めてもらえたようです。

もう一つのラッキーは、教室に合流した直後の給食のグループに、推薦入試で既に進路が決まったクラスメイトが偶然いたことです。その子は、他の生徒よりは自由になる時間があった様子で、放課後や休日に息子に勉強を教えてくれたり、一緒にゲームをしたりバスケをしたりしてくれました。親としても本人も、その子の存在は非常に有難く、心から感謝しています。

中学校に通うと決めたその日から一日も休まず、卒業式を迎えることができました。学校へ行かなくなることにも、再び通いだすことにも、びっくりしました。不登校がスタートした当初は喧嘩が絶えず、毎日困り果てた生活でした。

しかし、息子の行動のおかげでたくさん人に出会い、様々な気づきや感動がありました。たくさんのことを息子から教えてもらいました。今の私は、不登校になってくれて良かったと心から思います。

中学校卒業式の後、担任の先生は、「もっと早く声をかければよかった」と言ってくれましたが、私は「息子には学校に通わないあの時間が必要でした。このタイミングでなければこんな風に卒業式を迎えることはできなかったと思います」と言い、先生に感謝を伝えました。アニメを見尽くした、やりたいことをやり尽くしたときに先生からの連絡があったのが良かったのだと思います。

息子自身も「考える時間がいっぱいあったのがよかった」「子どもは、先生からも親からも何も言われない期間が必要だ」と言ったことがありました。


高校進学、そしてゲームクリエイターの世界へ


「高校は行かない」と息子は言っていました。

自信がなくて興味がないフリをしていたのかもしれません。

本人がいつ興味を持ってもいいよう、私の方では資料を取り寄せたり息子に内緒で見学に行ったり、情報収集はしていました。通信制高校のサポート校の学習スタイル(テストがないことやレポートの内容など)を知り、そこになら息子も行けそうだなと思っていました。

そしてタイミングを見て息子に話をしました。

「『高校に行け』と言いたいのではないよ。私の話だけまず聞いて」「私が見てきたことを伝えるよ」と前置きして、通信制高校の存在、私が良いと思った学校をいくつか伝えました。息子も興味は持ったようで見学に行きました。

学校を選ぶ際には私の意見を求めてきましたが、私は自分の意見は絶対に言わないと決めていて「自分はどうしたい?」と問いかけることに徹しました。「自分で稼いで自分で生きていけるようにはなってほしいけれど、そうなるまでの道は何でもいいよ。高校はどこに行ってもいいよ。」とも伝えました。

そうして最終的に専門学校が運営するサポート校を選び、進学しました。

進路や将来について胸の中で思ってはいても子どもには言わないようにしました。親の希望を少しでも口にしてしまうと、そこに誘導してしまう恐れがあったからです。息子自身のありのままの考えを尊重するようにしたかったのです。それを息子に伝えたことで、自分で考えるようになったと思います。

高校へは毎日通いました。先生に頼りにされることもあり、それも自信に繋がったようです。高校では選択科目でゲームを学べる機会があり、ボードゲームを作る授業もありました。ゲームの世界ってデジタルなものを思い浮かべがちですが、ゲームのルールなどアナログのゲームから入るみたいですね。

高校卒業後はそのままゲームの専門学校へ進みました。2年目からはゲーム会社でバイトをするようになり、そのままそこに就職しました。

今は仕事としてゲームを作り、休憩時間には先輩とカードゲームをしているそうです。帰宅はいつも24時過ぎですが、帰ってからもゲームの研究をしています。休憩時間にするゲームのためにカードの組合せを練っておかねばならないそうです。

仕事で苦労することもあるようですが、目標があると日々の嫌なことも耐えられると言っています。息子の今の目標は、“このゲームは自分が作った”と言えるものを3つ作ることだそう。それまでは今の会社にいると言っています。


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