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くるりんさんの子育て談①~子どもの不登校で、ゆるゆる母さんになれた~

東京シューレの研修プログラムでご一緒した、くるりんさん。

20歳の息子さんは、不登校→フリースクール→学校復帰と経て、今はゲームクリエイターの仕事をされているそうです。

ゲームクリエイターといえば、子どもたちが今なりたい職業ランキングの上位に入る仕事。

そこに至るまでの息子さんの様子、くるりんさんの想い、経験を聞かせていただきました。全3回でお届けします。


「明日から学校行かない」宣言


息子は、小学5年から学校には行き渋っていました。

歩いて5分の学校までの道のりを30分かけて、途中で吐いてしまうこともあって、登校には苦労していました。

学校が嫌な理由は語らないし、親や先生の目にも理由は分からない。

学校へ行ってしまえば友達と一緒にニコニコで帰ってきていたので、力づくでも学校に連れていきましたが、息子の反発は強くなっていき、悪循環でした。

当時は、私自身に“子どもの行動は親の責任”という意識があり、子どもを学校に行かせられないことは親としてよくないことだと思い、「〇〇しなさい」型の言葉をかけがちでした。


6年生の6月のある日、息子は「明日から学校へ行かない」と宣言し、学校へ行かなくなりました。

それを聞いて正直ラクになりました。“もうバトルをしなくていいんだ”、“仕事に遅刻しながら息子を学校へ送り届けなくていいのだ”と。

息子は家でテレビを見たり、ゲームをしたりレゴをしたりしていました。幸いなことに、学校行かない宣言前から続けていたバスケの練習(平日5日の夜間)には、参加できていました。

小学校の卒業式が近づき、式に出るなら練習に参加するようにと学校から言われました。一度練習を見学に行きましたが、“先生が考えた呼びかけの文章を先生に怒られながら練習するのはおかしい。そもそもあの文章は子どもたち自身が考えるほうが良い”、“証書のもらい方など前の人の動きを見ていれば分かる”など息子なりの考えがあり、その後の練習には参加せず本番の式に参加しました。

こんなふうに、学校に対しては“自分で考える間もなく色々なことをどんどんやらされるのはおかしい!”という想いがあったようです。


フリースクールAへ


中学は行けないだろうな…と思っていたころ、知人が娘さんの通うAスクールを紹介してくれました。“大人からは与えない。退屈のプールにどっぷり漬け込むと、やがて子どもは自ら動き出す”というスタンスのスクールでした。

まずは親だけスクールの説明会に参加しました。そこで息子が学校へ行っていないことを話すと「素晴らしいお子さんですね」と言われました。

衝撃的でした。それまでは、“どうしたら学校へ行けるのか”という相談はしていても、学校へ行っていないことを肯定されることはありませんでした。そして、否定されながら生きるよりも肯定されながら生きていくほうが、良い子に育つに決まってると思うようにもなりました。
スクール創立者の本にあった“親と子は別の人格をもつ存在だ”という言葉にも共感し、親と子は別の存在なのだ、息子が生きたい道を自分で決めたらいいと思うようになりました。
そうしてスクールの見学を親から提案し、本人に選ばせました。


スクールの体験に3日間参加しました。初日は一人で過ごして退屈だったようでしたが、2日目からは他の子どもと交わり楽しく過ごすことができ、3日目には「あそこに行きたい」と言って、スクールに通うことになりました。

片道40~50分の道のりを、晴れの日も雨の日も自転車で通いました。スクールではWiiでのゲームにどっぷりはまっていました。本人が言うには、ゲームがあると他の子と簡単に仲良くなれるのだそう。

たとえば新しい子がスクールの見学にきた、「こっちにおいでよ」と言うよりも「ゲームやろうよ」と言ったほうが簡単に仲良くなれると。確かにそうですよね。それ以来、私もゲームを悪いものだと思っていません。


Aスクールからの独立


Aスクールで毎日Wiiのゲームをやり続ける中でも、息子なりにいろいろなことを考えていました。公教育の在り方やAスクールの在り方など、わたしと語り合う日々がありました。

次第にAスクールとの考え方と息子の考えにズレが生じてきて、「Aスクールにはもう行かない」宣言があり、再度、不登校となりました。
その日からの4か月間、今度はアニメにどっぷりはまり一日中アニメを見る日々。


それが続いたある日、ヒマだと言いだしました。見たいものはすべて見尽くしたというのです。ゲームにはまり、アニメにはまり、今まではヒマだなんて感じたことがなかった様子だったので、面白い子だなと思いました。


その頃の私は数年前の私とは180度違った考え方ができるようになっており、息子の子育てを、まるで珍しい生き物を育てているかのような、非常に興味深い気持ちで観察するかのようにみることができていました。

息子の話を「うん、うん。なるほど。それで?それから?そーなんだ!」と心から面白く興味を持って聴くことができました。“聞く”ではなく“聴く”ようになったのです。

昔のわたしは、息子を叩き、大声で怒鳴りつけていました。

息子の不登校→Aスクール→再不登校、この経験が私をまるで違う母親に変えてくれました。あの頃の私(ガミガミおばさん)より、今の私のほうが、自分でも100倍気に入っています。

母としての自分自身を好きと思える私に変えてくれた息子には心から感謝しています。

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