心を豊かにする墳活日誌 | 地名・地形・古墳の名前
(1)古墳から学んだこと、感じたこと
何度か記事にしているが、10年くらい前に、図書館で歴史の本を読んでいたときのこと。古代史の本を読んでいたら、自分の住む街からそう遠くない場所に、全国的にも有名な巨大円墳があることを知った。
となり街だから、すぐに現地の円墳へ向かった。あぁここかぁ。よく通ったことのある道だったが、こんなところに国指定の円墳があることなど全く知らなかった。
確かに大きい。堀もきれいに残っているし、しかも石室がむき出しになっており、中へ入ることもできた。ちょうど日の光も差し込む位置にあり、排水施設まであることがよくわかった。顔料による赤い色彩の装飾もうっすらとだが確認できた。
それから、墳活(ふんかつ、古墳探訪活動)が始まった。県内や隣県の古墳を見て回るのが趣味になった。ターゲットの古墳をナビに何ヵ所も登録していった。
すると、無作為に選んだはずの古墳が線を引いたように並んで見えた。例外はもちろんあるが、古墳は川沿いに集中していた。ちょうど川の流れに沿って並んでいることが分かってきた。
古墳は現地に行ってみれば、目の前にあるのは小高い丘のようなものしかない。だから、古墳自体はどうということがないことが多い。しかし、「古墳のあるところ、川あり」(自作の格言)なので、川と古墳の位置関係や高低差も気にするようになった。
また、繰り返し探訪していると、古墳のあるところには、共通の雰囲気があることに気がつく。全く別の場所なのに、似たような地名も多かった。
国分寺、総社、国府のような地名。
古墳があるところには、他の時代の遺跡も併存していることが多い。これは考えてみれば当然のことである。人間の住みやすいところなんて、時代が変わってもたいして変わらない。平地で、稲作などの農業がやりやすく、水が豊かなところ。現代でも同じだろう。
すべてとは言わないが、古墳があるところには、貝塚、古道(街道)、国府跡、国分寺・国分尼寺、一里塚なども近くに残っている場合がある。
古墳を通して興味を持ち始めたことも多い。
例えば、思い付くままに挙げてみると、
地形(川、高低差、河川段丘の有無、自然堤防など)
橋の種類(桁橋、トラス構造、ラーメン橋、斜張橋、吊り橋など)
曲線
郷土史
地名
命名法
神話
風土記(ふどき、「ふうどき」ではない)
海流
ラブホの場所
宮内庁
教育委員会
(2)地名・命名法
地名
全部の項目について語ることは差し控えるが、地名に強くひかれるようになったのは古墳がきっかけ。
それまではあまり意識していなかったが、その土地の地形から地名がつく場合がある。市町村合併などで消えてしまったものもあり残念だ。
例えば、「渋谷」は文字通りの「谷」に位置している。浅草で地下鉄に乗れば、なぜか渋谷に着くと地上に出てくる。これは、渋谷が浅草より低地にあるからだ。
大阪の「梅田」は「埋めた」から来たという説がある。元々は埋め立て地か、干拓地なのだろう。
「松」という言葉のつく地名は、街道沿いに松が植えられていたことに由来する場合が多い。だから、「一里塚」の史跡が残っていることもある。
こういうことを知ると、地名は安易に変えるべきではないというタモリさんの意見に共感できた。地名はその土地の記憶なんだよ、と。ハザードマップも大切だが、危険を先人たちが地名として残してくれたのだから。「谷」「川」などがつくところは、住むときには気をつけなさいと。
命名法
古墳の名前は、意外とかぶっている場合がある。だいたい古墳の見た目に由来するものが多い。
例えば、前方後円墳ならば、「ふたご山古墳」「車塚古墳」「丸山(円山)古墳」。前と後ろが小高くなっているから「ふたご山」、自転車の車輪のように見えるから「車塚」、丸い山のように見えるから「丸山」みたいに。
同じ名前だと、区別しにくいなら、「芝丸山古墳」(芝公園に所在する古墳)みたいに「丸山」の前に「芝」を付け加える。
(3) 海流
古墳には「装飾古墳」というものがある。全国に点在しているが、特に九州地方に多い。
古墳内部の石室に、幾何学的な文様や当時の暮らしぶり(狩猟の様子など)が描かれている。
それぞれ独特なものではあるが、絵のタッチが似ている場合がある。
装飾古墳は海沿いあるいは比較的海に近い場所にあることが多い。だから、私は古代には「海の道」があったのではないかと考えている。
陸の道と異なり、遺跡として後世に残りにくい。だから推測でしかないが、装飾古墳の所在地と、海流を見比べると、海流の流れに沿う形で、交易が行われていたのではないか?と考えることができる。
文字史料が少ない(ほとんどない)時代のことだから、どうせ立証されないだろうと思っているが、想像するのが楽しい。
補論
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結論
古墳を知って、今までと世界が違って見えた。今までに行こうとすら考えたことのない場所のことや知識を私に運んで来てくれる。
叶わぬ願いかもしれないが、古代人の言葉にも興味がある。文字のなかった地代の言葉は、きっと古典として学んだ言葉とはまた別物だろう。古墳地代の人々の日常会話を聞いてみたいな、なんてね。
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします