2018年9月の記事を再掲…

今朝のワールドニュースで!今アメリカで問題視されている親像が<ヘリコプターペアレンツ>って言うんだって出てました。

こどもの頭上でホバリングして危険を感じる前に排除するんだって。

ホバリングってわかりますか?

ヘリコプターって、空中で静止できるのです。そして真下を観察したり、人を救助したりしてますよね。要するに、ヘリコプタ―ペアレンツって、こどもより、物理的にも精神的にも経験値的にも高い位置から見えるものを、こどもが「危ない」とか「どうしよう!」とか「やってしまった!」と感じるより前に言語化して伝えて、本人に気付かせないうちに失敗を回避させる親のことです。

危ないことを事前に知らせる…それは確かに大切ですが、やりすぎてしまうと、つまりニュースでも問題にされていましたが、そのホバリングがなくなった瞬間、こどもたちが何をして良いかわからなくなってしまう。正しいことと間違っていることの判断も、できない。ということです。

「危ないから」と伝えています。

と返されますが、耳から聞こえた情報は、ただの情報ですから。たいていの失敗はやってから「これが危ないという意味か」と腑に落ちるもので、ホバリングマザー、ファザーはだいたいここで「だから危ないって言ったでしょ!!」と怒ってらっしゃいますね。または「ほら、あの人に怒られたじゃない!」と、まるで自分は悪くないようにこどもに責任転嫁で怒ったりされています。

つまり、そういう傾向は日本にも既にあるように感じていたけれど、アメリカで流行ったものは10年後に…と言われるように、これからまだまだ増えるってことなんですね。

恐い!

怖いのかな?


ホバリングしてる人だって、それなりの正義があってきっとやってるんですよね?

教育新聞でも付随したようなニュースがありました。

ニュースより抜粋


※※※

「何のために学校があって、何のために教育しているのか」という点をぶれさせずに仕事する。実は今日うちの生徒も来ています。この子をはじめとした生徒が世の中に出て自律して、自ら考えて、判断して、決定して、行動できる。そういう人間になってほしいと思い教育をしています。

こんなこと叫ぶ人はたくさんいますよね? だけどそれを本当にぶれずにやるのは、なかなか難しい。世の中の大半の人が手段や、細かいことにこだわりがちだからです。

例えば学力を上げることにこだわると、周りの大人がこれでもかと子供に手をかける。でもさっき目的にあげた「自律した人間」からは、かけ離れます。手をかけ続けていくと、子供は自律する機会をどんどん奪われて、そこでうまくいかないことがあると、必ず手をかけてくれない人を恨むようになります。これが学校だと、「あの先生は教え方が悪いよね」となるのです。

本文はこちら

※※※

うん。まだ全部を読み切っていませんが大阪市が突っ込まれてた例の問題に絡むのでしょうか。

成績が下がる➝方法論を変える➝こどもに”成績を取らせるためのテクニック”を教え込む➝テクニックはあるが、どう活用するのか、シチュエーションが変わったら使えない公式を頭にたっぷり蓄えた学生が育つ➝活躍するのは大学入試まで。

ということになってしまって、詰込みと言われた過去の教育よりひどい状態になってしまう状態が避けられません。

自分も中学生の子を持つ母として、他人事ではありません。

そもそも、成績が高くて、学費の高い大学に行って、学費を払うために良いお金のもらえる就職をして、人生の大半を費やす人生で、本当に幸せな人生なんでしょうか。


とは言いながら、私も、娘に「大学になんていかなくていい」とは言えないくらいにはやはり日々悩んでいます。みんなきっとそうなんですよね。

本当に、人生って難しい。

社会でも当然あります。

指示する人間の責任は大きいけれど、それが行きすぎて、受けとる側(新入社員)が「ちゃんと教えてくれなかったから、会社が悪い」と言うのをよく聞きます。

学生にアルバイトを頼んで、何かミスがあったとき、一昔前は
「考えればわかるでしょ!!」
が流行してて、その時代に怒られた子に
「こっちの伝達不足やったな。ごめん。」
と伝えたら
「いえ、こちらこそすみませんでした。」

と返ってきていたけど
最近、同じようなシチュエーションで、怒られて凹んでる子に
「こっちの伝達不足やったね。ごめん。」
を伝えたら
「いいですよ、問題ないです。」
と返された時

心の中で「あちゃー。」
と苦笑いしてしまいました(笑)
事前察知をしてあげなかった大人の責任であり、自分に否はない。謝ってくれたから許してやろう。
という具合です。


最初は「こいつ! ちょっと前の子なら素直に謝ったものを…」と思ったのですが、モンスターペアレンツ流行時代に育ったこどもたちの反応ですもの。予想できて当然のこと。

「最近の若者は」と言っている自分が伝統的な大人になっていて、笑える今日この頃でした。

モンスターの次に来るヘリコプター。
さぁ。ここで育った子がどんな切り返しをしてくるのか。
私たち中間管理者が「過去はよかった」と言っていてはいけません。

過去はどうだったのか。今はどうなのか。そしてそれを自分の実感だけでなく、いろんな情報を探し、検討し、今この時点から未来はどうなるのかを考えていかなくてはいけません。

そして、これからのこどもたちには、もっともっと、そういう「変化」に対応していく能力が求められてきます。

これだけは、人類が、AIが、どれだけ進化しても間違いのない事実です。

時代は、まだまだ大きく変わります。

「昔は」「普通は」言っていられる時代じゃないです。

「変化に対応する能力を持ったこども」が求められるのならば。

やはりすべては教育。

デューイ(経験教育の超有名な哲学者)至上主義ではないですけどね。

優しさのつもりが、気付かないうちにこどもを「自分の」過去の檻に閉じ込めてしまっていないか。

なんのために教育があるのか。


常に問いかけ続けなくてはいけない。

そういう時代です。

ひとつの記事から連鎖的にいろんなお話をしてしまいました。


また、ぼやきます(笑)

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