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老子①

【動機】
決めた。徹夜をしよう。

終わらない仕事を前にして、アブナイ決断をしてしまった。
もう若くはない。私に徹夜という単語は似合わない。
初詣では仕事の成功ではなく健康を祈ったはずだ。
なのに決めてしまった。

徹夜を決めた瞬間、時間が無限にある気がして心に余裕ができた。
(これが徹夜の恐ろしいところである。勉強が趣味と言っておきながら、私は経験から学ばない。)
余裕ができたので、お菓子を食べ、お風呂に入り、老子の本を読み始めた。

先日図書館へ行き、何気なく目に留まったのが「老子」の本だった。
「老子」と名の付く本が並んでおり、「全訳とか柔訳とか自由訳とか…何が違うんだろう」と気になって、気付けば3種類を手にしていた。

さっそく読み比べてみよう!

【方法】
本3冊読み比べ。読みながら、気付いたことをメモ。
①『自由訳 老子』新井満/朝日新聞社
②『柔訳 老子の言葉』谷川太一/経済界
③『哲学として読む老子 全訳』山田史生/トランスビュー

お供:バンホーテンの腸活ココア(ホットミルク割り)
→冷める前に&粉が沈殿しないうちに飲みたいので、結局前書きを読み終わるころには飲み干している。全然お供になっていない。

【メモ】
前書き
老子愛を語る。本書の位置づけを説明する。
短くシンプルに。長く丁寧に。
美麗なレトリックで。話し言葉のような軽快さで。
前書きの役割って何だろう?
前書きを読んで筆者の人柄を感じるか否かで、その先の読みやすさが変わる気がする。

自由訳が詩的

道は人生 道は宇宙 1=2
表面にとらわれずに本質を観る

…今日はここまで。

【感想】
読みながら、心の中の老子が「もうやめとけ。仕事しろ。」と言ってくれることを期待していた。
しかし、読むほどに「老子はそんなこと言わないだろうな…。」と思えてきた。止めてほしいのに止めてくれない、逆に促されているような感覚に勝手に焦り、自ら本を閉じた。
老子は気にしないかもしれないけれど、私は気にする。
このままでは「徹夜で仕事した」ではなく「徹夜で老子読んだ」になってしまう。
徹夜で仕事もヤバいが、徹夜で老子もヤバい。
まだ図書返却締め切りまでは日がある。続きは仕事が落ち着いてから、ゆったりと言葉をかみしめられる状態で読みたいと思う。

それではさようなら。

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