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24歳になりました


あっという間に24歳だって。はやいな。
学生時代も1年早いとは思っていたけど、
社会人になってからもっと早くて。
毎日が風のように過ぎていく。


23歳の一年は
たくさん新しい出逢いに恵まれたと同時に、
たくさん決断をした年でもありました。

辛いことも挫折したことも数え切れないくらいあったけど、
その度に向き合って、学んで、周りの方々に助けられてなんとか生き抜けた、そんな一年でした。

関わっていただいた皆様には、
心から感謝感謝です。





つい先日、22歳の時にきめた23歳の目標を見直した。
目標なんて言うと大層に聞こえるけど、思ったこと書き残しておいてる、みたいなかんじ。思ったこと書き残しておいてる、みたいなかんじ。すぐ実現できるものは結構叶ってた。
すぐ実現できるものは結構叶ってた。
すぐ実現できるものは結構叶ってた。

演奏活動は6〜7本って書いてたけど、
倍以上ありました。本当にありがたいです。

観劇はライブなども含めて結構行けた。
いいこともわるいこともたくさん学びました。
生でしか味わえない空気感、臨場感、やめられない。(24歳/女)




作品を観ることは私にとってインプットで、
演奏する機会はアウトプット。

今までよりもアウトプットが多かったからこそ、
自身と向き合う時間が増えた。
その中で、閉ざしてきた自身の過去にも目を向けることができた。






私は過去、感情を失いかけたことがある。

辛いことが重なり過ぎてどうしようもなくて、
ずっと辛くない辛くない、仕方ないんだ、我慢すればいい、感情なくなれ、無になるんだ
って言い聞かせて生きていたら
気づかぬうちに本当に無になる術を身につけていた。

身体的・心理的・物理的
色んな「痛み」を受けてきたけど何も感じてないフリをして、何もないように見せかけて、
生きることに必死だった時期がある。
そんな日々を送っていたら、
気づいた時には心に蓋(開閉式)がついていた。

友達と話している時は楽しかったし、嬉しいこともたくさんあった。
1人で映画観ては涙したし、好きなアーティストには熱狂した。
楽しい思い出、忘れられない出来事もたくさんある。

辛いことがあってもなんとか生きてこられたのは、友人たちと好きなアーティストたちから力をもらっていたおかげ。
友人と過ごした時間は本当に楽しかった。

しかし目を背けていても心は確実に、着実に
ダメージを受けている。
いつもどこかに靄が立ち込めているような感じ。
それは次第に深い溝になった。




ずっとずっと逃げたかった。

逃げるために色んなことをした。
学校はたくさん休んだし(今ではちょっとだけ反省してる。ほんのちょっと)
一日中自転車飛ばして行けるとこまで行ったこともある。

色んな人、大人にも相談もした。
でも決まって回答は仕方ないよ、だった。

財力もなく世間から見て未成年であったあの頃の私は、逃げられなかった。
ずっと、大人になりたかった。

感情をぶつけても何も変えられないと気づいた時、
自分の意見や考えを言葉にすることをやめた
そして自分自身を嘘偽りで固め、虚像を作り出した。

今思えば生きることに相当必死だったんだと思う。
生きるために逃げて逃げて、逃げまくった。
哀しみと向き合う心の余裕などどこにもなかった。



そんな中でもなんとか高校を卒業し、
大学に入って、人生が大きく変わった。


音大は表現者が集い、表現を追求する場所。
入学した時点ですでに自分の色を持っている人たちばかりだった。しかもめちゃめちゃに濃い。
夢を持っている人たちは
みんな眩しいくらいキラキラ輝いていた。

自分にないものを持つ人たちとの交流はいつも刺激的で、人と接すれば接した分だけの気づきがあった。
同時に、私が失いかけていたものが表現する上でいかに大切かということも痛感した。



それまで色んなことがあったけど、
音楽からはどうしても離れられなかった。
楽しい時、嬉しいときはもちろん、
辛い時、生きる気力をくれたのは音楽だった。
たくさん背中を押してもらった。心の拠り所だった。
そんな音楽にどんな形でも関わっていきたいという漠然とした夢を抱いて、音大に入った。

どんな道に進もうと、
音楽を続けていくためにはこの心の溝をなんとなしなくては、と気付いた。



それから、手探りで自分の感情と向き合う日々。

まずはじめにやったのは、笑うこと。
楽しいって思ったら、ちゃんと笑う。
心から楽しむ。
楽しむことに罪悪感を感じていた私は、
そんなことすら出来なかった。びっくりでしょ。

罪悪感の原因はまだ分からないけど、
今でもたまに感じる。



色んな人と出会って、
色んな作品を聴いて観て読んで、
生き方や世界を教えてもらった。

未熟で考えが至らずたくさん失敗もしたし、
その分迷惑もかけてしまった。失ったものもある。

いいことも悪いこともその都度考えて
気づいたことはノートに書き留めたりなんかして、少しずつ、少しずつ自分と向き合ってきた。




大学入学から今日まで、約6年。
やっと自分の時間が、思考が、感情が動きだした気がする。

これが好き、あんなことは嫌だ、私はこんな風に思うんだ、あんなことがしてみたい
自分の意見を、自分の言葉で本当に本当に少しずつだけど発信することができるようになってきた

音楽に対して、
素直にトキメキを感じられるようになった。
宝探しみたいに自分の好きな音を見つける、
小さい頃にキラキラした大好きな音を探してピアノに触れていたあの感覚。

今でも言葉にならない辛さに苦しくて苦しくて泣いてしまう時もたくさんあるけど、
辛いって言っていい、頼っていいんだよって言ってくれる友人や仲間に恵まれた。

本当に幸せなこと。
みんなありがとう。





友人や仲間と呼べる人たちがいる幸せと同時に、
明日みんなわたしの周りからいなくなったらどうしよう、と不安に駆られる瞬間がある。

私はとにかく話すことが苦手。
頭の回転は遅いし、その場で自分の感情を言葉にするのも苦手。
冗談とか気の利いた一言とか言えたらいいのに、そんなことも言えない。
本当に面白味のない人間だと心底思う。
私といて楽しいのかなって思う瞬間、何度もある。

せっかく一緒にいてもらうんだから楽しいって思ってほしいな、なんてエゴで大抵喋りすぎるし、
そういうときこそ要らぬこと言ってる。

人に上手に頼ることもできないし、
甘えるなんてもっとできない。
というより、その仕方がわからない。

自分の気持ちのはずなのに
自分の思ってることが何なのか、伝えたいことが何なのか、それすら分からないなんてこともある。
空気を読んだら何も喋れないし、
読んだつもりになって勢いで放った言葉で
誰かの心に傷をつけてしまったのではないかと怖くなる。
わかったフリしても本当は何もわかってなくて
不意を突いて出てきた言葉があまりに薄っぺらくて自分でびっくりすることもあったり。

毎日会話を振り返っては反省して
1人で思いを巡らせて頭を整理する。
そこではじめてあの時本当はこんなことが言いたかったんだ、って気がつく。
いつもそんな感じ。

たぶん、生きるのに不器用。
もっと素直に上手に想いを吐き出して、賢く、器用に生きれたら、と何度も何度も思った。

自分を見せるのが怖くて、
嫌われるのが怖くて、
誰かを傷つけてしまうことが怖くて、
ずっと「いい子」でいることに徹してた。
無意識のうちに。




もう自分をごまかすのはやめる。
「いい子」でいるのもやめる。
もっともっと、自由な心で生きたい。


自分の心は自分のもの。
歓びも、哀しみも、心躍るトキメキも、全部全部。

人間だから綺麗な感情ばかりじゃなくて、
嫉妬や卑しさ、寂しさだってある。
そんな感情を抱く自分を醜いとも思った。悩んだ。今でも悩む。

でもそれはきっと生きてるってこと。
悪いことではないような気がした。


誰かにとっての弱さは、
誰かにとっての強さや優しさなのかもしれない。
そう思えた。

自分のことは自分でしか愛してあげられないんだよってどっかのミュージカルでも映画でも言ってた。

どんな過去でも、そんな過去があるから今がある
こんな私を受け入れてくれた素敵な人たちと出逢えた。
それだけで十分な気がした。




この記事を投稿するにあたってとても悩んだ
今まで数少ない人にしか打ち明けてこなかった自身のパーソナルな面
別にこの場で言わなくてもいいことだし
言ったところで何かが変わるわけでも多分なくて

だけど自分の心を整理したくて、
弱い自分を変えたくて、変わりたくて
まっすぐに生きたくて、前を向きたくて
そんなきっかけの1つにしたいという思いで殴り書いてる




他人からは一人でも生きていけそうだよね、
強くて羨ましい、恋人も結婚も興味ないでしょ
なんてことよく言われる。


そんなことない。ないんだ。
私は弱い人間だよ。

今まで生きてきた中で
強く自分を保たないとあっさり死んでしまいそうになる瞬間が山のようにあって
死を選ばずに生きていくためには
自分の心に鞭打って、強くなるしかなかった。

誰かに甘えて、頼って、
迷惑だ、我儘なやつ、こんなことも自分でやれないのかって思われて嫌われるくらいなら
全部1人でやればいいと思った。やってきた。

波立つ感情を理性で押し消して、
寂しさも涙もしまって、自分を捨てて、
強さの仮面を身につけた。

本当は差し伸べられる誰かの手を待っていた
どうしようもないくらい哀しくて寂しかった
大丈夫、っていう言葉がほしかった
誰かに守ってもらいたかった

きっと。

だから今、私は過去の私を抱きしめてあげたい。
十分頑張った。辛かったよね。悲しかったよね。
どんなことがあっても、
23年間毎日息して生きてきた。偉いよ。

ずっとずっと大嫌いだった自分を、自分の過去を、やっと少しだけ受けとめられた気がする。





他人の傷みなんて分からないし、
どれだけ傷ついてるかなんて本人にしかわからない
本当の意味で理解することは他の誰にもできないと思う
でも傷みを知った私は、
誰かの痛みに気付いて、寄り添うことくらいはきっとできるはず。

これはきっと私の強さ。



私は私の心に寄り添ってくれた人たちに救われて、その人たちの優しさで、愛で、
今日も生きていられる。私が私でいられてる。

いただいたたくさんの愛と優しさを
少しずつ周りの人たちに返していけたらいいな。




これからもたくさん悩むと思う。

失敗もするだろうし、
悲しくて辛くて泣いてしまう夜もきっとある。

自分と夢と音楽だけは見失わずに
周りの方々の助けを借りながら
ゆっくり丁寧に、感謝を忘れずに
一歩一歩踏み締めて、前へ進んでいきたい。

自分で考えて、悩んで、見つけていく幸せに叶うものはないから。



《リアルで嘘のない等身大の私で》


そんな決意とこれまでの感謝をこめて。



こんな私ですが、
これからもどうぞよろしくお願いします。



さあ、どんな未来に飛び込もうか……

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カンボジア旅行記はまた後ほど🇰🇭



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