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タイパは、少ない時間に対し、得た価値大なのか?

前提。硬いタイトルの割にnoteにあまたいらっしゃるビジネスプロフェッショナルとは一線を画し、脳内整理を音声入力で吐露する記事です。

さて、今回もハードルを下げたぞ。語ろう。

今年に入った頃から、タイパ重視の風潮がある。

時短で料理なんかできたら最高だし、最短で目的地に到達できたら無駄がなくて清々しい。満足感の割に時間があまり経っていないで済むと得した気分。

時間の割に得た価値を感じられるとタイパよく感じるのだ。

世間では「タイパって実際どうなの?」という話に対し、

子どもがTikTokやYouTubeのショート動画を延々と見ていて、ものすごく時間を持て余しているように見えることもある

だとか、

60秒以内で見せられる内容といえば、ファッションとかジャンルが限定されるので、結局自分の勉強になるコンテンツと言うよりも、ただのエンタメ性の高いもから刺激を得ているだけで、楽しい時間だったけれども、何を見たか覚えていないと言う結果になっていないか。

だとか、

供給側が見る者に頭を使わせないコンテンツを提供して依存させることに対して、依存する人が増えているのであれば、それは供給側の成功だ。

だとかいろいろ意見があるようだ。

SNSコンテンツを作る側としてはだいぶ考えさせられる視点だ。

今はスマホ1つあれば、誰でも発信者になり得る時代だ。誰でも受信者になり得る時代だ。

コンテンツらしいものを作ろうと思えば、誰でも作れる。

それこそショート動画は、AIに従って作れば形だけは整う。

タイパを求める人たちは、やることが多すぎて、時間が足りないと焦っている人たちだろう。知っていないと置いていかれると言う焦りかもしれない。

ただ、情報を吸収する側は、吸収したものがどんな化学変化を起こしているのだろうか。

例えば、その情報を発信するコンテンツを、見た人は、ゼロから作ることができるか?(実は作った人の方が、見た人よりもためになっているから言っちゃう。ごめん)

得た情報で、どんな困り事が解決するのか?

それに尽きると思う。かけた時間に対して価値があると言うことは。

コンテンツクリエイターの端くれとして、情報の洪水の現代において、

価値とはなんぞや?

これを作ることで見た人にどんな価値を提供できて、また継続して見てもらうことができるのか?

自分のコンテンツを求めてもらえるのか?

そこを突き詰めてトレンドとは関係ない普遍的な価値を提供できる作り手にならねばと思わされた。

あとはタイパといえば、自分の時間の使い方は、毎日模索している。

1日24時間じゃ足りない。でも、活動してたらそれだけ疲れを蓄積して、回復にもとても時間がかかっている。

やることリストの中から優先順位をつけて取り掛かっても、見積もり通りの時間にならない。思ったより時間がかかっていることの方が多い。

希望的観測よりも事実の方が重い。

先日、業務マニュアルたたき台を作ったが、この作業工程はどれぐらいかかるというのが前提が早速崩れてしまった。もう少し事実に即した内容にしていかなければなぁ。

タイパ、ねぇ。かける時間に対してハイパフォーマンスということね。なかなか難しいテーマだ。

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