呟かなかった「つぶやき」を供養する③

 つぶやこうと思って書いたものの、プレビュー画面まで来てやっぱりやめようと思い、念の為、スクショだけ残して削除したつぶやきを、やっぱりまとめて掲載する、というシリーズの第三弾です。

 過去二作はこちらです。連載ではないので、読まなくても大丈夫です。



 大昔のmi●iでの出来事です。創作のコミュニティで「辛口希望」と前書きをして小説を投稿すると、皆さんがあえて厳しい批評を寄せてくれる、という企画がありました。
 しかし、ほぼ機能せず、企画倒れに……誰も投稿しないのではなく、誰かが投稿しても誰も辛口批評を書きたがらないのです。せいぜい誤字脱字とか誤用の指摘ぐらいです。
 というのも、辛口批評って批評する人の方がリスキーですから、当たり前と言えば当たり前かもしれません。
 そんな中、何故か私はある人に名指しで辛口批評を書いてくれ、と要望されました。そこまで親しくない人だし、その人の作風は好みじゃなかったし、お断りをしたのですが、公の場ではなく、コッソリDM(m●xiでは「メッセージ」ですね)でもいいのでご意見を聞かせて欲しいとしつこく頼まれ、渋々ながら作品を読み、思ったことを「強いていえば」という前提で書きました。
 すると、指摘した全てにおいて、反論してきたのです。謙虚を装いつつ、自分を正当化する為に利用されたのでしょう。私を否定することも目的だったのかもしれません。とまぁ、そんな体験をふと思い出しちゃいまして。
 結局のところ、反対意見や忠告や提案や指摘に対し、「でも」「いや」「ちがう」「分かってるけど」と、冒頭にそういう単語を付け、否定から入る人は成長しないと思います。常に自分が正しい、間違っているのは相手……そこで思考が硬直すると、反省も改善も生まれるわけがなく、成長は止まるのです。
 うん、分かっていますけど、いや、でも……


 主述の捻れの多い人は、高い確率で読書をしない人、若しくは、読書量の少ない人だと思います。
 厄介なことに、そういう人に限り、主述が捻れていることを指摘しても、そもそも理解出来ていなかったりもします。
 実は、↑のエピソードで私が真っ先に指摘したことが、この「主述の捻れ」でした。具体的な文章は忘れましたが、Yahooの知恵袋でよく似た文章を見つけたので、転載します。

「だが、最も大切なのは私たち一人一人が自分の生活を見直すべきだ。」

 この文の主語は「大切なのは」ですが、述語は「〜すべきだ」になっているのです。しかし、この「すべきだ」の主語は「一人一人が」なので、文全体で見ると主述関係は呼応していません。何故か分かりますでしょうか?

①大切なことは〜である。
②一人一人が見直すべきだ。

 この二つの文を繋げて一文にしているのですが、その際に①の主語に②の述語を呼応させているのです。なので、一文で書きたいなら、「だが、最も大切なのは、私たち一人一人が自分の生活を見直すべき、ということだ。(これも変な文章ですが)」など、最低限、主語と述語を呼応させないといけないのです。
 私の思い込みかもしれませんが、明らかに読書量の少ない人ほど、文章に「主述の捻れ」が多く見られるような気がしています。
 その話をした時に、おそらくその方は全く理解出来なかったようで、「シンプルに読みやすい文章を心掛けていますので」と返してきました。
 文章力を上げたい人は、先ずは読書から。


 毎回、数十人ものクリエイターが参加する大きなイベントですが、一番大切なコンセプトである、『指定された「書き出し」で始める』という趣旨を守れない人がほんの少しいます。と言いましょうか、少し前に参加された人の中に、一人いました。
 えぇと、またもやあの人です。
 140字にも満たない簡潔な説明さえ、キチンと読めないのか理解出来ないのか……残念な人なのでしょうね。しかも、その後にもまた「シロクマ文芸部」のタグを付けて、全く関係のない記事を投稿していました。今度は、応募期間でもなく、過去のどのお題にも全く掠りもしない書き出しです。
 多分、このタグを付けるだけでアクセスが増えることに気付いたのでしょう。そういえば、時々「54字の宴」のタグも付けていますし。
 何とも浅慮で愚かな考えです。



 生物学的な意味での「女性らしさ」は、まだまだかなり高い確率の女性が身に付けていると思います。
 ここでいう「女性らしさ」は、ルッキズムだけのものではないのですが……個性の違いを嗜好で分類し、遠回しにすり寄せを求める考え方は男らしくないです。あっ。