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母を想って

先日、5月16日に母が61歳で亡くなりました。

闘病生活10年にも及ぶ中、遊ぶことが大好きだった母とその間に家族でたくさん飲んで、食べて、笑って、旅行して、みんなで楽しみながら過ごしました。

最後は自宅にて父と僕と妻で母を囲み、徐々に穏やかな表情になりながら、一筋の涙を流して旅立ちました。

告別式のときにスピーチをさせていただいたのですが、一部を思い出しながら文に直して書き綴ってみました。よろしければお読みいただけると嬉しいです。

「僕の母は本当に面白い人でした。母との思い出やエピソードはたくさんあるのですが、一つだけお話ししてみたいと思います。

あれは僕が幼稚園の頃、はじめて自転車を買ってもらい、嬉しがりながら近所にある子供文化会館の裏まで手で自転車を押しながら練習しに行きました。

そこは結構な急斜面の坂なのですが、母が「自転車の補助輪なんか子供くさい!」と言って、自転車の補助輪をつけずに「いけっ!」と言いました。

後から聞いたら母は本当にいけると思ったらしく、僕も母の子なんで「いけるっ!」て思ったのを今だに覚えています。

そして気合いを入れて坂を下りはじめて半分位まで進んだのですが、見事にノーブレーキで壁に激突しました。そもそもブレーキのかけ方教えてもらってませんでした。

でも今思うと母のそういう部分に僕は影響を受けている気がします。18歳からピアノを始めて大学卒業後に一旦就職するも、退職してピアニストを目指しました。

そのとき母は心配しましたが、母の子供なので仕方がない気がします。あのとき坂に挑戦したように人生を懸けてチャレンジしたくなったのだと思います。

ただ、母に似て不器用ですので、今でも上手く綺麗に坂を下る事はできなくて、壁にぶつかりながら、それを強引に突き破り続けているように思います。

お母さんへ

お母さん、今までありがとう。闘病生活約10年よく頑張ったな。お疲れさま。病気になってからも家族でたくさん飲んで、食べて、笑って、旅行して楽しかったな。

こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけど、最後の日から告別式までの3日間、お父さん、俺、みえの4人で川の字で寝て、最後の家族旅行みたいやったな。
 
お母さんの10年にも及ぶ闘病生活の中で俺は教えてもらったよ。この世界や宇宙にあるものすべては自然に廻る。川が上から下に流れて、海になって、雨になるように。それと同じように音楽も廻って永遠に続く。お母さんは身を持ってして、それを教えてくれた。

だからお母さん、これはお母さんの終わりじゃなくて始まりでもある。もうこの世界で会えなくなるのは寂しいけれど、またどこか別の世界で出会えると思う。そのときはまたお母さんの子供にならせて下さい。

最後の日、お母さんは脳梗塞を起こしてしまって、目もうつろで見えなくて、受け答えもままならない状態だったけど、駆け付けた俺の手を強く握りしめて「ケンイチ、ケンイチ、わかる」と言ってくれてありがとう。

お母さんの愛が体の中に入ってきて、俺の一部になるのを感じたよ。お母さん、お疲れ様。ゆっくり休んで。今までありがとう」 


|髙橋賢一ジャズ・ポピュラーピアノ教室

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