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ニャースについて

以前、長男と映画館でポケモン・ミューツーの逆襲を観たときに感じ、先日テレビでも放送されていたので、書こうと思いました。


ニャースだけはそのコピーと戦わなかった。


ここが結構印象に残った。 ー 残らされたのだけども ー 

そう感じた人も多かったようです。

なぜか?


ピカチュウも戦いたくなかったようだけれどもピカチュウのコピーは好戦的だった。

しかしニャースのコピーは爪をみて痛そうだなあという理由で攻撃を諦めた。


ピカチュウは思いやりに溢れ優しい。それはあまりに人間的な優しさだ。

一方、ニャースはただ怖がりだった。それはあまりに動物的だ。


ここに何か人類の未来へのヒントがあるように感じてならない。


人類は過去において動物との境界にあった。

それでも人類というものを、社会というものが出来上がってきたのは、人間的な理性の力ではなく、この動物的な性質のどこかにそのように機能するものがあったからではないか。

獣のようにだったり、動物的というのは暴力的に捉えられることが多いが実はそこにこそ原子的な倫理と理性が潜んでいる。

過度に理性を信じない。

ただ野生だけではもちろんダメだ。


ああ、なんだ、昆虫の研究や人類学や社会学はそういうことを探す旅なのかも。

と思った次第です。





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