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おじいちゃんが孫と相合傘の図

うちの父は真面目で厳格で食事の時もおしゃべりやテレビなんてご法度だった。だから僕は大きくなってテレビドラマの大家族江戸っ子または大阪人情ドタバタに憧れた。

別に厳しいのは良かったのだ、ただ厳しくともドラマの場合は親父がいつも怒鳴り散らしているから周りもどこか慣れちゃって、子どもも平気で反抗するし、近所に住む恩師には頭が上がらないとか母ちゃんも肝っ玉だったりしてバランスが取れている感じだった。

うちはそういう感じではなくただただ恐怖だった。
まあ、そんな感じなので自分が家族を持ったらそんなドタバタな感じが良いと思っていて、まさにそんな感じになって(別に僕は怒鳴り散らしてないけど賑やかという意味で)、近所には迷惑かけっぱなしだけども理想的といえば理想的になったのだ。

それで、1つ気づいたのは、こういうコミニュティでは予定調和な幸せはないという事だ。

「たけしくんハイ」でも父親が武くんの誕生日を平気で台無しにするのを覚えてる。
実際ウチもそういうことばかりだ。いや、僕はあんまりしないと思うけど、ケーキがどうので子どもらがブチ切れて取っ組み合いがはじまる。僕が憧れた人情ドタバタは実際はこうなのかと厳しくも静かな環境で育った僕は慄き始めた。

でも、今日思ったのだけど、確かに予定調和な、何か楽しいイベントであれば楽しくすごせるというのはほぼほぼあり得ないのだけど、束の間の、何でもない時に幸福感が訪れる時があるのだ。激しい波と波が打ち消しあって束の間の「凪」を作り出したかのような。そういうのは確かに件のドラマにも描かれていたなと気づいた。むしろそれがある種のテーマだったのかも知れない。

それで暴力や罵倒が良いものとは言えないけど、どだいそういうコトが無くなりそうもない世の中で一筋の希望のようなものが描かれていたのではないかと。

束の間の幸を。

令和3年10月17日 雨の日

追記 念のため。父は恐怖だったけど、決して母にも僕らにも手を挙げることはなかった。だからといって恐怖ではないとは限らないものだ。

図は義父とウチの次男

#相合傘

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