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今に生きる旋法音楽

フランス近代の作曲家

長く続いた調性が支配する音楽の時代を経て、近現代の作曲家はそこから抜け出そうという傾向になりました。
そんな時に出てきたのが教会旋法からの影響です。ドビュッシー、ラヴェルは明らかに教会旋法を使った曲を書いていますし、フォーレも教会旋法の影響があると言われています。
あらゆる楽曲を切り刻んで隠れた旋法を探せ、みたいなことをするつもりはありませんが、例えばラヴェルのソナチネの二楽章、最初の区切りの終止は調性ではあり得ないものとなっています。なぜならこの部分は旋法だからです。
この曲を勉強した時、フランス近代ものは初めてではなかったものの、調性の終止形が頭を支配していたからか、本来ついているはずのミフラットを落として譜読みをしたようです。先生の書き込みから発覚しました。調号がフラット5つで当然ミにフラットがついているわけで、それを落とすんだから感覚でやっていたんだろうなと思うわけです。

響きが違う

旋法と調性は響きが違います。その響きの違いを使いたいがために、旋法を使う作曲家が出てきたわけです。それは作曲家自身が古い作品を研究したから出てきたもの、あるいは教会で聴くことができたグレゴリオ聖歌の影響もあるかと思います。

演奏をする時にはとにかく「調性とは違う響きである」という意識が必要になります。

響きが違うという意味でいえば、新ウィーン楽派であるシェーンベルク、ウェーベルン、ベルクによる十二音技法も「無調に向かう」ことからくる響きの違いです。芸術作品全般によくある話で、今まであったものに飽き足らないから新しいものを作り出そうということからくるものです。
旋法を利用することは、懐古主義とも言えますが、現在(その時点での「現在」を含む)では「かつてはなかった響き」でもあるわけで。

旋法についてお話しました

去る10月17日、オンラインで久美子ユンカーマン先生主催の楽曲分析表現サロンの特別講義で、旋法について話すチャンスをいただきました。
こちらの講義は終了しましたが、アーカイブでの参加もできるとのこと。このサロンは継続が原則ですが、1ヶ月のみの参加も可能とのこと。そして初回参加の方は、優待価格でご参加いただけるそうです。

詳細はこちらから。

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