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正解を出すのではなく

今日は、先日の長男の課題から考えたことを少し。

中学生の聴取分析の課題

中学生の長男が風邪をひいて休んだフォルマシオン・ミュジカルの授業のプリントが届きました。聴取分析をやったとあって、その時の問いもプリントにありましたが、その問いを見て「私に全部を一発で答えられるか?」と思いました。

先生に、何の曲を聴取分析したかを尋ねて、その曲を自分でまず聴いてみました。ある作曲家の交響曲の2楽章冒頭1分程度という話でした。
(ここでは敢えて名前を出しません。現在やっている最中の講座の課題にする可能性が高いので)
オーケストラというのは交響曲と聞いていなくてもすぐにわかります。リートかソナタか交響曲かという三択での区別ならそれもわかります。導入部分の楽器とその後の旋律の演奏楽器はわかりますが、続いて最初の旋律楽器にダブって演奏される楽器となると迷いが出ます。

最後の問いが難しくて秀逸

秀逸なのは問いの内容ではなくて、問いの方法です。

「この曲の時代と作曲家を提案してください」というものです。

作曲家の数も交響曲の数もたくさんありますが、それぞれにスタイルというものがあります。そのスタイルを何となくでも感じ取れれば「作曲家の属する時代」はわかるだろうなと思います。この「何となくでも感じ取る」のが大切。聴くことに対する注意力がないとできないことです。作曲家を提案するのはかなり難しいだろうなと感じます。もしかしてXXかな? と思ってもなかなか言い出せないということもあります。
私だったら時代はわかると思えますが、作曲家まではわかりません。
それでもこの問いはあくまでも提案ですから、例えばショパンのノクターンだと思えそうな曲を聴いて「ショパン」と言ってみるのはありです。ショパンのノクターンの場合、お手本にしたジョン・フィールドの作品が本当にショパンとよく似ているので「これはショパンの無名のノクターンだよ」と言われて聴かされたら信じてしまうだろうなという雰囲気なのです。これを聴いて「ショパン?」と提案するのは作曲家のスタイルを感じ取れている証拠。正解ではなくても間違いと言い切れる話ではありません。
スタイルを感じ取るのが目的なので「提案してください」という表現が使われるのです。「書きなさい」だと正解を求めていることになりますが、提案してくださいという言葉には「考えて意見を出す」というニュアンスが強くなります。

ここまでできるようになるには積み重ねが必要

この授業はフォルマシオン・ミュジカル6年目の授業なので、みんな色々聴く経験を積み上げてきています。その経験の蓄積で「XXかなぁ」「いやXYだよ」と生徒たちが言っていくのではないかなと想像してます。
私がその場で勉強させてもらいたいなと思いました。知識得るというのではなくて他の人が考える過程を聞いてみたいです。

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