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音楽する喜びを分かち合う

音楽を教えることは分かち合うため

先日、次男の先生と年度末だからという理由で面談をしました。この一年の学習状況を振り返って来年度はどういう風にしていきたいかということを話し合うためのものです。楽器の先生とこういった形での面談は初めてです。面談をするかどうかは先生の方針次第なので、コンセルヴァトワールとしての決まりはありません。次男はこれまで付いていた先生が引退されたため、今年から先生が変わりました。
そこで次男の長所、問題点を話した後に先生から出た言葉が

「私にはヴァイオリンしかなくてそれを教えているけれど、ただお金を稼ぐために教えているんじゃないのよ。それよりも音楽を一緒にする喜びを分かち合うためにやっているの。だから演奏する機会を作りたい」

といったものでした。
元々がフランス語だったのと、自然にサラッと言われたことなのでメモをとっていたわけでもないので全体の正確性には欠けていますが、音楽をする喜びを分かち合うという表現に間違いはありません。
この表現に感動しました。

その心意気が演奏にも出る

先生ご自身、ソリストとしても室内楽奏者としても活動をしていて、CDアルバムなども出していらっしゃいます。先日発売されたばかりの独奏曲のみを集めたアルバムに関して、そのアルバムはApple Musicなどの配信にもあるので「是非聴いてください」とお知らせがありました。それを聴いてすっかり虜になってしまいました。
ソリストとしてCDを出せるくらいなので演奏家としての実力は間違いありませんが、だから惹かれるとは限りません。そのCDの演奏から感じられたのはまさに「音楽をする喜び」で、それを伝えようとしている心意気が私を虜にしたんだと、先生と話した後に確信しました。
曲そのものが、先生に献呈されたものばかりなので初めて録音されるものばかり。先生のために作られた作品だから先生の魅力を引き出しているのはあるのでしょうが、それにしても聴いていて飽きないし、繰り返し聴きたくなります。

AIには無理な力

こういった音楽の人を惹きつける力はAIには無理なものです。楽譜をMIDIシーケンサーに打ち込んで演奏させたからって、それを聴いて引き込まれる気分にはなれるはずがありません。なぜならそこにはがないから。
先生が普段から感じていて意識していることが演奏に出ているから、それを聴いた私を夢中にさせたのです。コンマ何秒のタイミングや音の作り方は人間だから作り出せるもの。無機質な正確な演奏はAIにお任せできますが、人間だから若干の揺れはあるし、だからこそ演奏に魅力が出るわけです。

分かち合うためにフォルマシオン・ミュジカルができることは?

ソルフェージュ力というと無機質な印象があることは否めません。確かに「拍を正確に分割する」「正しい音程を認識する」といったことは機械的なものと捉えられても仕方がないことです。
ところでこの先生の演奏ですが、ソルフェージュ力がしっかりしていることが伺えるものでもありました。非常にいい耳、聴ける耳を持っているのも伝わってきてそのことが聴いていて気持ちいいというのもありました。
自分が感じている音楽を他人に伝えるためにはまずは正確であることが大切なのです。正確であることと人間的であることは矛盾しません。フォルマシオン・ミュジカルは人間的でありつつ相手に伝わる正確性を育てる教育法です。

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