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なぜフォルマシオン・ミュジカルが必要なのか?

今日はなぜフォルマシオン・ミュジカルが必要なのか? 単なるソルフェージュではどうしてダメなのか? について書いてみます。

フォルマシオン・ミュジカルは音楽の言語を学ぶもの

なぜ楽譜の読みをやるのか? なぜ理論的なことを学ぶのか? なぜ音楽史を知る必要があるのか? 全ては的確な音楽表現(自分が感じた音楽を相手に伝わるように表現するということです)のために必要な言葉を学ぶためのものです。
そして、その人にとっていい演奏をするためには音楽を聴くことが大切になります。なぜなら数多くの音楽を聴くことによって自然に溜めた音楽語彙が、表現する時の支えになるからです。
自分の演奏する楽器だけではなく、いろいろな音楽を聴くことが積もり積もって音楽を表現するために役に立ちます。いろいろな楽器の音色とその音楽表現を聴くことで得られるものはたくさんあります。楽器の幅が広がることでそこから聴き取れる音楽語彙が広がり、自身の音楽表現の語彙が増えるということになるわけです。

言語力を高めるために必要なことは?

文学作品を理解する、高度な論説文を理解するためには言語力が必要になります。そしてこの国語力はただ文字を追っているだけでは十分につけることはできません。書かれたものを的確に理解するためには文字、語彙、文法の力が大切になりますし、文学作品の場合は特に作品の背景事情を知ることが理解の助けになります。そして、深く理解をするためには場数を踏むことが求められます。場数を踏むというのは作品をとにかく読むこと。読むことで語彙が増えるのもありますが、いずれにしても言葉を積極的に扱う時間が言語力を高めることに作用します。
それは音楽でも同じです。1つの楽曲を深く勉強することも必要ですし、いくつもの楽曲に触れることも音楽力をつけるのに役に立ちます。聴くことでなんとなく学び、なんとなく知っていることが増えて、その経験を繰り返すことで身体で覚えていることが多くなります。それを理論として説明されればすっきりと納得できるのではないでしょうか?

同時に得られる力

文学作品を文字で読んで場面を思い浮かべるということは、想像力を養うことになります。文字を読んで想像できるくらいの力があるということは言葉という限られた情報から得たものを最大限に受け取る力があるということで、これは読む経験を積むことでしか身につけることができません。国語の練習問題をしているだけではこのような力はつきません。
音楽作品を鑑賞してそこから何かを感じ取るということは、音楽における想像力を強化します。BGMとして聴き流すだけでも経験値を積めば積んだだけのことはありますが、そこにさらに音楽を深く聴く経験が加われば百人力。
フォルマシオン・ミュジカルではソルフェージュ力をつけることを大切にしていますが、それは日本の国語の授業で漢字の書き取りがついて回ること、フランスのフランス語の授業でディクテ(読み上げられた文章を書き取る)が行われることと同じです。
フォルマシオン・ミュジカルでは、音楽を聴く経験を積むことも大切にしています。音楽を使ってそこから学ぶということは、その第一歩にあたります。

音楽表現の方法は人それぞれ

楽譜の読みの練習は大切ですし。楽器のテクニックを磨くことも大切ですが、それだけでは音楽表現の力はつきません。
例えばクレシェンドが楽譜にあって「だんだん大きく」ってどんな風に大きくなっていくのか? は曲によって(記号が置かれている場所やその前後の曲想など)違いますが、最終的には人それぞれ。開始後0,2秒後に一段階大きくする、みたいな指示の仕方はできません。
つまり、演奏者の音楽に対する捉え方、その作品をどう感じるかはそれぞれが自分の中で育てていく必要があります。
生徒に対して我々音楽教師ができることは、その「感じていること」を引き出すことと、それを的確に表現するためのアドバイスをすること。もちろんその記号の置かれている状況に相応しい表現を伝えることも必要になります。

記号としてクレシェンドだからだんだん大きくしていくんだけどどういう風に大きくしていきたいか?

それは広い意味での音楽経験を積むことで明確になっていくものではないでしょうか? その幅広い音楽経験を積むためにフォルマシオン・ミュジカルが必要となるわけです。

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