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音楽を聴くということ

フォルマシオン・ミュジカルで行われている大切な教育に「耳を育てる」ということがあります。今日はそれに絡めて改めて音楽を聴くということ、音楽を聴き取るということと聴く耳、聴ける耳を育てるということについて考えたいと思います。

聴音の意味

聴音はただ音の高さを聞き取るものではない

音楽高校や音楽大学を受ける人は絶対避けて通れない聴音という科目があります。ソルフェージュの一環として行われる試験です。日本の聴音の試験は「音の高さとリズムを聴き取って」「楽譜に正しく書き記す」というものがほとんどで、音の高さを正確に聴き取るには絶対音感があると便利とされていました。
しかし、フランスのフォルマシオン・ミュジカルで行われる聴音は音の高さとリズムさえ書き取れればいいというものではありません。実際の楽曲からの穴あき聴音でリズムのみ、あるいは音程のみを聴き取ったり、その他にも強弱記号を判断したり、終止形を聴くだけで判断したり、など音楽を聴き取るものとなっています。
年齢が上がると、知らない楽曲を聴いて「形式や強弱、曲の雰囲気」まで判定するという課題があります。これができるようになると知らない曲の聴き方が間違いなく変わります。

絶対音感って必要? それともなくてもいいもの?

私自身は訓練されずに絶対音感を持っていたので(小学生の頃、先生に私の持つ絶対音感をおもちゃみたいに遊ばれて不愉快だった)、絶対音感訓練というのは全く経験がありません。そして、持っていて便利だったのは大学入試の聴音の時だけで、実は絶対音感が邪魔と思った時(バロックピッチで演奏されるバロック期の楽曲を聴く時、さらにはピリオド楽器を利用して自分が演奏する時)もあります。
私自身はそれから意識的に訓練して(バロックピッチで歌ったりすることで)バロックピッチはスイッチが入るような相対音感を身につけました。バロックピッチの音楽を心から楽しめるようになったのは、この音感を身につけてからという気がします。うちの子供たちには絶対音感の教育はしておらず、音当てクイズ的な絶対音感は所持していません。それでもヴァイオリン、チェロを弾くのに十分な音感は育っています。
今の日本は絶対音感を持つべし、という風潮が強いように感じます。しかしA=442Hz (今のオーケストラは442Hzがほとんどですから)のラの音がどの高さなのかを記憶できて、そこから「長二度上だからシ」など音を判別できる方が、どんな音楽にも対応できる柔軟な耳になるはず。絶対音感を身につけることに反対はしませんが、是非やっておきましょう、とまでは言いたくないです。それよりも音の性質を細かく聴き分ける繊細な耳を育てて欲しい(絶対音感と同時に持つことは可能です)です。

耳を育てるためにできること

幼児向けの音に対する集中力を高める活動

幼児向けのクラスで「さあ、これからなる音型はどういうものかな?」とわざわざいうことはしませんが、リズムや音の組み合わせを聴いてあるパターンに合った動作をさせることがあります。これを続けると音に対する集中力が高まります。次にどんな音が鳴るかな? と気をつけることになるからです。
その他にも、不透明のカプセルの中に何かを入れて持ってきて、クラスのお友達の前でシャカシャカと振って鳴らしてみます。お友達は中に何が入っているかを考えて答えます。この活動は必ずしも正解することが目的ではなく「何の音なのか聴き分けようと考えながら聴く」ことが目的です。子供がこの活動をした時、米粒や大豆、レンズ豆や、切ったコピー用紙、アルミ箔などバリエーションが豊富で舌を巻きました。カプセルの音を耳をそばだてて聴いている子供たちの様子は、既に6年以上経った今でも忘れられません。

楽譜の読み書きができなくてもできる聴音

日本の受験の聴音とは違いますが、楽譜の読み書きをする前の幼児から広い意味での聴音の活動をすることができます。
大きい音と小さい音を聴き分けるのは比較的容易にできると思います。スラーとスタッカートの聴き分けもできます。こんな簡単なの、意味がないと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、音を聴く、音を集中して聴くという活動はここから始まります。高い音と低い音を聴き分けると言うのも同様にできますよね。
長三和音(長調の一番大切な和音でもあります)と短三和音(短調の一番大切な和音でもあります)を聴き取ることもできます。具体的な音の高さではなく和音の色で聴き分けます。音符が読めなくても「明るい感じ」「ちょっと暗い感じ」と顔のマークなどで表現できれば立派な聴音です。
他にもスタッカートとスラーの弾き方、速い曲とゆっくりの曲の違いを聴いて判断することは楽譜の読み書きとは関係のないところでできます。子供たちはそういった活動を通してまず「音に対する注意力」を磨いていきます。

出された音を聴いてその音と同じ高さの声を出す

これは少し大きな生徒向けの活動です。同じ高さで出すためには声を出すテクニックが必要になりますが、その前に聴ける必要が、聴き取れる必要があります。聴こえないことには自分の声が正しい音の高さなのか、間違っているのかを判断できません。
この活動の場合、まず出された音と自分が出している音を聴く必要があります。自分が出している音と出されている音を聴き分け、高さが同じか違っているかを考えます。違っていたらどちらの方向に(高くするのか低くするのか)を判断します。そのためには「どちらが高いのか」を判断する、聴き分ける力を必要とします。
音楽では何をするんであっても「聴く力、聴ける力」が大きな位置を占めています。

音楽を聴けるようになる聴音について

楽譜を埋める、間違いを探す

ピアノでただ一本調子で演奏された音を聴き取って書くだけでは音楽を音楽として聴き取れる耳はなかなか育ちません。生徒さんが音楽を聴き取れるようにするには、音楽をたくさん聴かせたいものです。その時にただボーッと聴くのではなく、音楽に集中させるためには、フォルマシオン・ミュジカルで行われている「実際の音楽を使った聴音」が役に立つと思います。
楽曲の楽譜のうち、一部の音の高さだけ記しておいてリズムを入れる、あるいはその逆。あるいは一部を全部書き取らせることもします。その他に、わざと間違いのある楽譜を渡してその間違いを見つけるということもしますし、強弱記号を入れるという課題もあります。強弱記号を入れるというあたり、音楽を聴き取っているなと感じました。

楽譜なしで聴いて音楽の要素を判断する

音楽の要素を判断する活動は Commentaire d'écoute(聴取に対するコメントとでも訳せるでしょうか?)というのですが、これは私にとっては意外でした。練習問題集を見たらあまり長くない楽曲を全部聴いて出てくる楽器、長調か短調か、拍子を判別し、楽曲の形式やフレーズの繰り返し、果ては音楽の性格、性質まで聴いて理解するものです。
コメントというように最終的にはそれらを文で説明するのですが、最初のうちは一問一答的に、時には選択肢も設けて答えていきます。この課題を通して学ぶことは音楽史の知識や楽典的な知識もありますが、まずは聴く、それも集中して聴くということが大切になります。
いくら音楽史の知識があっても、聴いて判断するためにはまず聴ける必要があります。当たり前のことのようですが楽典も理論も音楽ありきのもの。それらを有効に利用するには聴ける必要があります。さらに聴いた音楽の性質、性格(明るいか、悲しいか、歌うようなのかなど)を聴き取るとなったら、音楽表現に使われる言語の習得が必須となります。
これは音の高さとリズムが聴けるだけでできる課題ではありません。聴いた結果をさまざまな知識と結びつけて判別していきます。楽器のテクニックの有無は問われませんが、音楽に深くコミットするものではないでしょうか?
個人的にこの課題はフォルマシオン・ミュジカルの醍醐味だと考えています。リズムや譜読みができなくても、これができるようになれば音楽を細部に渡って楽しめるようになるのではないでしょうか。

絶対音感よりも大切な音楽を聴ける力を育てたい

我が家の子供たちは、幼児の時からエヴェイユ・ミュジカルに通い、そのままフォルマシオン・ミュジカルのクラスに行ったということもあり、また、私が知っている音楽を勉強している子の大半はコンセルヴァトワール通いの子と言うこともあり、この教育を受けずに育った子どもとの比較ができずにはいます。しかし音楽を学んてきた身として、また、音楽を教えている身として感じることは、こういう方法で耳を育てれば音楽を聴く力は間違いなくつくということ。
音楽を音楽として聴ける力は絶対音感を身につけるより時間がかかりますが、年齢を問わずにできること。そして、一度身につければ将来の音楽生活を彩るものとなることは間違いない話です。

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