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気分じゃなく意思で

久保さん、皆さん、こんにちは。
南波です。

4月も半ばを過ぎ、皆さん少しずつ、新年度のバタバタから落ち着いてこられた頃でしょうか。
しばらくぶりですが、お元気でいらっしゃいますか。
桜はとうに散ってしまいましたが、新緑が眩しい、美しい季節がやってきましたね。

もうずいぶん前になりますが、息子の幼稚園で一緒だった一人のお母さんが、「3月4月は変化があって落ち着かない季節だから、できるだけ予定を入れないようにしているの」と言っていて、「なんて賢いお母さんなんだろう!」と当時の私は大変驚き、10年ほど経った今でも、この時期になるとその言葉を思い出しては「ほんとに賢いお母さんだよなあ!」としみじみ、感じ入っております。
自分はちっとも反省せずに、毎年この時期にも予定を入れてしまい、アップアップしてますからね。
もうお付き合いのないお母さんですけれども、どうされているかな、またお話ししたいな、と時々思います。

春、久保さんのお家の娘ちゃんはいかがお過ごしでしょうか。
進級おめでとうございます。
学校で働いていますので、この時期、子どもたちが1学年上がるというのはいつも感慨深く、出会う子出会う子に「〇〇ちゃんは何年生になりましたか?」と尋ねてしまいます。まあ、わかって聞いてるんですけどね。嬉しそうに「〇年生!」と答えてくれる様子がかわいいので、つい。
緊張することもあると思いますが、新しい仲間や先生との出会いが「新鮮で楽しい」と感じられると良いですよね。

息子は進級してもクラス替えがないので、特に緊張することもないのですが、息子の学校では8年生(中2)が初等中等部の最高学年とあって、頑張らなければいけないことがいろいろとあるようです。節目、というやつですね。
反抗期真っ只中ですから、応援したくても下手をすると煙たがられてしまって、難しいなと思うこともありますが、なんとか力を出し切って、またその先へと伸びていってほしいな、と思います(まあこの親の熱い気持ちが「うざい」のでしょうけど)。

そう、声変わりしてきたんですよ、とうとう(小声)。
ある日突然低くなるのかと思っていたら、そうではないのですね。段々と、しゃべる声が低くなっていってます。
「もうソプラノは歌えないね」と残念そうに私が言ったら「歌えるよ、低い声が出るようになって音域が広がっただけ」と本人はいたって前向き。

子どもの成長って、何か変化(更新)があると、その変化(更新)前の様子がすぐに思い出せなくなってしまうのが不思議ですね。
赤ちゃんの時の泣き声ももう思い出せないし、ジェスチャーだけでしゃべってた時の様子ももう思い出せないし。ケンカばかり続く日は、穏やかに仲良くできる日のことが思い出せないし、その逆もそうで。
この今の「声変わり途中」な声も、すぐに思い出せなくなるのでしょうね。
録音しておけばいいのですけどね。でも「そうじゃなくてさ〜」と思ってしまう。私の体の中で、ちゃんと覚えておきたいのですけどね。でも、すぐ忘れちゃうんですよね。

冬の間に、とてもお世話になった大好きな先輩が亡くなったんです。それでお通夜に行ったら、その方がご家族で旅行に行った時の写真がたくさん飾られていて、それが、あまりに良い写真ばかりだったので、余計に悲しくて。でも私もこんな表情ができるように生きなければいけないなと、皆さんにその美しい太陽のような彼女の姿を見せられないのが残念ですけれど、思いました。
生きているとたまに「こんちくしょう」と思う時があるのですけど、それも「はいはい」と噛み噛みごっくんして、いつも「ああ、今日も楽しかった、ありがとう」と言って寝られるといいですね。
そのためには、自分がいつも物事の良い面に目を向けられるよう、意識しないといけないのでしょうけど。

ちゃんと読んでいないのですけど、アランの『幸福論』に、「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである。」という言葉があるそうで(読まなきゃ)。
心ざわつきやすい春ですけれども、元気でいるぞと自分で決めて、日々楽しく過ごしたいと思います。

こちらは伊丹空港のキャラクター、「そらやん」です。
鉄の塊とは思えない体つき。かわいいでしょ。

皆さんも一息ついてやん。
どうぞ良い春をお過ごしくださいやん。

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