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CD制作 その3「ホールの本を発見!」

前回は、新潟で素晴らしい旧型のベヒシュタインのピアノに出会えたことを書きましたが、現代型のピアノも比べてみたくて、あの後、千歳烏山(東京)にあるベヒシュタイン・ジャパンの本社でもフルコンを弾かせていただきました。こちらはよく知る音色やタッチでしたが、やはり新潟のピアノには忘れられない魅力があるため、収録はそこで行うことに決めました♪

しかし、どうしてベルリンフィルの本拠地で使われていたピアノが新潟にあるのか聞いてみると、あのホールに関する本があるのだとか。調べてみると、今からちょうど20年前に出版された本らしく、中古でしたが取り寄せてみました。その名も「小出郷(こいでごう)文化会館物語」。本の帯には、こう書かれていました。

『最初その動きは、わずか数人の「怒り」から始まった。やがて住民たちの情熱は、行政をも動かし、かつてない「大工の館長」を誕生させたのだった。』

えっなになに??興味をそそられる文章です。読み進めていくと、小出郷文化会館がただのホールではないことが分かりました。先日お名刺をいただいた方々も度々登場するので、興味深々です。

まず、このホールは今から32年前、北魚沼の6町村合同で文化会館を建設する話から始まります。県の補助金を得たい一心から行政側が計画したことらしく、それに気づいた小出町のある開業医の方が、「こんな理想やビジョンを実現するためでない文化会館の建設は、未来に巨大な負債を残すだけ」と憤り、同じ思いを持つ数名と行政側に詰め寄ります。

その後は、有志の方々が熱い思いで文化や地域の将来について議論を重ね、行政側を巻き込みつつ、住民主導で建設計画を動かします。実際に文化会館を利用する住民自らが、将来を見据えた事業計画を立て、館長も住民の中から擁立し、運営に足りない人は多くのボランティアで補い、地域全体の文化活動を築き上げていく・・、こんな凄いホールがあったのですね!1980年代後半~90年代には、全国で600から700もの公立ホールが乱立されたようですが、「ハコモノ行政」と批判される中、危機意識を持った住民達が新たな可能性を示したホールとして、当時は全国的に注目されたそうです。

気になるピアノのことも、分かりました。この文化会館の「こけら落とし」では、地元住民による「魚沼太鼓」と「ベートーヴェンの第九(全楽章)」が演奏されたようですが、第九の指揮は、世界的に活躍されていた大町陽一郎さんがなさったそうです。ホールに入れるピアノについて大町さんに意見を求めると、「ベルリンで使われていたベヒシュタインのピアノが横浜の輸入代理店にコンサート貸出用として来ていて、とても良いらしい。本当は自分が欲しいのだが妻がウンと言わない・・」とかで、結局そのピアノが小出郷文化会館に入ることになったようです。

本を読んで驚いたのが、開館後はピアニストの弘中孝先生が、お仲間とよくこのホールを使われていたことです!私は大学3年の時に宝塚ベガコンクールで賞をいただいたのですが、その際に、審査員の弘中先生がお声をかけてくださいました。その後は、アマチュアオケのソリストに推薦していただいたり、岐阜の大垣音楽祭で、ソロ演奏や素晴らしい先生方との室内楽をさせていただいたり・・・。大垣音楽祭が終わった後は、奥様でヴァイオリニストの久保陽子先生もご一緒の車で、東京まで乗せて帰ってくださいました。お二人とも大学の大先輩ですが、東京音大の先生でいらっしゃって、大学は違ったものの大変よくしていただきました。先生達は小出郷周辺の小学校をまわって子ども達への音楽活動をなさったり、先生方の「桐五重奏団」のCD録音も、響きがいいからと小出郷文化会館を使われたみたいですね!大垣音楽祭でお世話になった宮澤敏夫プロデューサーも小出郷でご活躍だったことを知り、お顔を思い出して懐かしい気持ちでいっぱいになりました。

また、来年のCD収録の際は、ベヒシュタイン・ジャパン社長の加藤正人さんに調律していただく予定なのですが、この文化会館のピアノ選びのところで本に登場されていて、若かりし頃のご様子も知ることが出来ました。

う~ん、このホール、知れば知るほどご縁を感じます!とにかく、多くの方々の熱い思いの詰まったこの小出郷文化会館で、秋にリサイタルをさせていただいたり、来年はCD収録ができることになって、とても嬉しいです。新潟の大自然と素晴らしい人々、そして素敵な歴史あるホール・・・、その全てが音に込められたCDになるといいなと、今から夢が膨らんでいます♪

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