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安川加壽子記念資料室を訪ねて

5月の収録に向けて、今はドビュッシーの作品に取り組んでいますが、先月、ドビュッシー研究家でピアニストの青柳いづみこ先生の開催されるセミナーに参加してきました。その中で、青柳先生の恩師である安川加壽子先生の、フランス仕込みの奏法をお聞きして興味が湧いたことと、その時に購入した安川先生に関する本を読んで感銘を受けたことから、昨日は草加市にある「安川加壽子記念資料室」に行ってきました。

この本から安川加壽子先生がタダモノではないことを感じ、資料室へ。

私が安川先生に惹かれるのには、他にも理由があって、先生は亡くなられる3年前に、私が受けた宝塚ベガコンクールの審査員にいらして、その表彰式でお目にかかって少しお話させていただいたことがあるのです。また、先生の没後に開催された「安川加壽子記念コンクール」でも2位をいただいたことから、先生のことは、どこかで身近に感じさせていただいておりました。

ただ、大御所という認識はあっても、これまで安川先生の演奏のことは、ほとんど存じ上げておりませんでした。それもそのはず、かつてはピアニストでとして大活躍されていましたが、亡くなる前の13年間はリウマチ悪化のために演奏活動を休止し、教育活動に専念されていたようなのです。

ここで、安川先生のことを簡単にご紹介させていただきます。兵庫県に生まれ、1歳2か月の時に外交官の父のいるパリへ。小さい頃は母の習うピアノの先生のもとでピアノを学び、後にパリ国立音楽院に在籍。17歳の時に第2次大戦が勃発し、帰国して結婚。その後は3人の子を儲け、活発な演奏活動を行う。東京藝大にて教鞭もとりつつ、74歳で亡くなるまで楽壇の中心人物として活躍されました。

今回初めて目にした、安川先生の若かりし頃のお美しい写真。右上は、恩師のラザール・レヴィ氏。

今回、資料室に伺うにあたって、何よりも興味があったのは、演奏の映像です。どんな演奏だったのだろう?と。資料室では、安川先生のお弟子さんで、私の大学の先輩でもある松野健史さんが、ご自身で収集された多数の資料を取り出して、丁寧に解説してくださいました。

早速、演奏の映像を見せていただきましたが、想像していた以上に素晴らしかったです!これだけ弾ける方が日本にいらっしゃったのですね!安川先生はバックハウスがお好きだったようで、スタイルは、非常に実直な印象がありますが、曲全体に大きな流れがあり、ひとつも無駄がなく、それでいて素っ気ないことは全然なくて、よく聴くといろいろなニュアンスが細やかにつけられている・・・。気品と知性を感じる、とても心惹かれる演奏でした♪ 先日亡くなられた小澤征爾さんとの共演や、テレビの企画で、安川先生が指揮をして、小澤征爾さんと山本直純さんがピアノ連弾でモーツァルトの協奏曲を演奏する、という微笑ましい映像も見せていただいて、なんて贅沢な時代だったのだろう!と、感慨深いものがありました。

安川先生の凄いところの一つに、その膨大なレパートリーと、一度のリサイタルで弾かれる曲目の多さがあります。このことだけでも、相当の実力が窺えます。また、日本の音楽界の活性化のためには、現代作曲家の活躍が不可欠と、積極的に日本の作曲家の作品も紹介されていました。ご自身の演奏活動だけでなく、日本の音楽界全体を見渡して活動されていらっしゃった、しかも3人の子育てをしながら・・!(育児はご自身のお母様が同居して、お手伝いをされていたようです)なんて凄い女性だったのだろう!!と尊敬せずにはいられません。

オール・ショパンによる自主企画リサイタル。盛り沢山のプログラムから、大変な実力が窺えます。

また、これだけの実力がありながら、リウマチ悪化のために演奏活動を辞めざるを得ず、その後のピアニスト達の様子を10年以上もご覧になっていた時は、どれだけ歯痒い思いをなさっていたかと想像してしまいました。本当に、日本で教育活動をされながら、これだけの水準で活発に演奏活動をされた方は、ちょっと思い浮かばないです。

インタビューもいくつか見せていただきましたが、口調は淡々としていて、まったく飾らず、媚びないところも、演奏に通じるものを感じました。そして、美智子上皇后もファンだったとのお話が頷ける、ステージマナーの素晴らしさ!お辞儀は本当に美しく、やはり美智子さまの姿が重なりました。昨日は、安川先生のお写真や様々な資料のある空間にいるだけで、魂が清められるような、背筋が正されるような、そんな気がしました。安川先生の演奏から、いくつかヒントもいただきましたので、また新たな気持ちでドビュッシーに向き合っていきたいと思います♪



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