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謎につつまれた「エリーゼのために」その1

今年の春も、昨年同様に、1時間の気楽なコンサートを予定しています。今回は、ベートーヴェンの名曲「エリーゼのために」をプログラムに加えてみました。昨年のコンサートでは「普段よく耳にするけど、なかなかコンサートで聴く機会のない曲が聴けてよかった」というご感想をいただいたのですが、「エリーゼのために」も、まさにそんな曲ではないでしょうか。

「エリーゼのために」は、ピアノが少し弾けるようになったら、トライしてみたくなる曲ですね。私も小学生の頃から弾いてみていましたが、これが意外に難しいのです。まず、手が小さいうちは左手が弾きづらいし、途中のあのミレ♯ミレ♯の手の交差をすると何回弾いたか分からなくなる・・・(笑)。ある程度弾けるようになってからも、1曲としてまとめるのは難しい感じがします。さすがはベートーヴェン!しかも「傑作の森」といわれる円熟期に書かれたもので、なかなか奥の深い曲です♪

さて、この作品ですが、1810年4月27日付で、39歳のベートーヴェンによって書かれました。(関係ないですが、ショパンとシューマンの生まれた年ですね。こんな名曲も誕生して、すごい年!)作品番号はなく、非公表。ベートーヴェンの死後40年経った1867年に、ノールという音楽学者によって発見され、公開されましたが、その後、自筆譜は無くなっています。

この「エリーゼ」は誰か、については諸説あって、現在も不明です。「エリーゼのために」は、実は曲のタイトルではなくて、献辞として「Forエリーゼ」のように楽譜に添えられていたようです。ちなみに、タイトルは「バガテル(ちょっとした小品)」。「エリーゼ」という女性はベートーヴェンの周りにいなかったため、おそらくベートーヴェンが当時夢中になって結婚を考えていた18歳のテレーゼ・マルファッティことで、ベートーヴェンの悪筆のために楽譜にする際に間違えたのだろう、と言われていました。だからこの曲は、本当は「テレーゼのために」なのだと。Elise とTherese、いくら字が汚いと言っても読み間違えるかな?と思いますが、ドイツ語の筆記体では似ることがあるとかないとか・・。

ところが、2010年にコーピッツという音楽学者が、当時ベートーヴェンが親しくしていた「エリーゼ」がいた!と発表しました。40年以上も「本当はテレーゼだった」が通説になっていた中で、この学者も執念ですね(笑)。しかもそのエリーゼ、当時ベートーヴェンのライヴァルでもあった作曲家フンメルの後の奥さんで、ソプラノ歌手のエリーザベト・レッケルだとか。親しい人からは「エリーゼ」と呼ばれていたそうです。当時、「エリーゼ」は17歳で、ベートーヴェンと親しくしていたエピソードも残っています。将来有望なソプラノ歌手で、この曲が書かれた4月に、ウィーンから離れたドイツ中部の街バンベルクの歌劇場との契約が決まったようです。ベートーヴェンはお別れに、この曲を「エリーゼ」へ贈ったのかもしれません。

ただ、この作品の自筆譜は「テレーゼ」の遺品だったようで、それが人に渡って発見されたのだとか。この辺は、やはり気になるところですね。しかしながら、この曲のスケッチは1808年に書かれていて(完成2年前)、当時ベートーヴェンは「エリーゼ」とは会っていましたが、「テレーゼ」とは出会っていません。(1808年以降ベートーヴェンの主治医がテレーゼの伯父だったので、出会っている可能性も・・)それから、ドイツ語を英語にすると「For エリーゼ」に添えて「in memory」と書かれていたらしい。これもいろいろと解釈出来そうですね。

たった3ページの楽譜「エリーゼのために」は、知れば知るほどいろいろな考えが巡ってきて、学者達が大論争を巻き起こしたのも分かります。どうでもいい人にとっては「暇だな~」という話ですが(笑)、私も最近は、気付いたらこのことが頭の中をぐるぐるしています。結局、自筆譜が無い今では、真相は分からないですね。せめて、楽譜をもらった女性が、誰かにしっかり伝えていてくれたら・・・!「楽聖」からの貴重な贈り物ですものね。

次回は、今分かっている情報と楽譜から、私が思う「エリーゼ」について書いてみますね♪


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