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ダニール・トリフォノフ ピアノリサイタルを聴いて

そういえば最近、今の若いピアニストの演奏を聴いていないなぁと思い、前から名前を聞いていたダニール・トリフォノフさんのリサイタルを聴きにいきました。会場はサントリーホールで、チャイコフスキー「子どものためのアルバム」、シューマン「幻想曲」、モーツァルト「幻想曲」、ラヴェル「夜のガスパール」スクリャービン「ピアノソナタ第5番」という多彩なプログラム。

トリフォノフさんはロシア出身で現在31歳とのことですが、とても独創的で面白い演奏でした!とにかく、どの曲も私の思っていたイメージとは全然違うのです!!かといって、奇を衒ったようなものはなく、確固とした信念があって、何か新しい世界を創り出している感じ。ご自身もかなり本格的な曲を作曲されるようですが、そんなことも影響しているのかも知れません。

ここで、前回のブログでも触れた「作品へのアプローチの仕方」について、また考えていました。トリフォノフさんのような演奏家は、主に楽譜の「音の配列や組み合わせ」などから曲に込められた感情や、曲そのものの魅力を読み取り、ご自身の哲学なども合わせて音楽を再創造しているのでしょうね。

それはとても素敵に感じた一方で、やはり私は作曲家の心が伝わってくるような演奏が好きだな~と、改めて思いました。例えば、その日演奏されたシューマンの「幻想曲」。この曲は、後に妻になるクララとの恋愛中に、クララに贈られた曲ですが(作品の献呈はリストに)、当時シューマンは結婚をクララの父親に猛反対されていて、絶望の淵で書かれました。終楽章のコーダ(最後)は、私の中ではシューマンの恋が夢の中で成就して、やっと魂の安らぎが得られるような感動的な箇所なのですが、ここに「だんだん速く」の指示があります。この「速く」は、幸福感が溢れてくることにより速くなるイメージなのですが、トリフォノフさんは、かなり力強く加速していって、シューマンの気持ちというよりも、曲をそのように構成したのだな・・・という印象を受けました。

このように、トリフォノフさんのようなタイプは、シューマンの想いや境遇を曲に盛り込んで表現する、という目的はあまり無いような気がします。(実際にお聞きしてみないと分かりませんが・・。)そのような不確実なものを考えるよりも、音符の配列や組み合わせを見れば、それぞれの作曲家の独自性が分かる。楽譜を設計図のように見立てて、音楽という建造物を構築する、というイメージなのかも知れません。

でも私は、曲を聴く時は作曲家の心に触れたいし、人間性も感じたい。そんなことを期待しながら聴いている気がします。これは、どちらが正しい、とかの話ではなくて、そもそも演奏する際の目的が違うのでしょうね。「楽譜から新たに音楽を構築する」のも、「作曲家の心や人間性など、作品の背景にあるものを表現する」のも、どちらも創造的な演奏方法なのだと思いますが、これは演奏者の好みなのかな。そして、どちらかに大きく振れるタイプと、どちらの要素も併せ持つタイプ・・など、細かく見るといろいろありそうですね。

また、トリフォノフさんの演奏の魅力の一つに、「即興的」な感じありましたが、これは、私も大切だと思っています。作曲家の書いた楽譜が基本のクラシックですが、その時その時の気分や閃きが感じられる演奏は、やはり楽しいし、自由でいいですよね♪

このように他の人の演奏を聴いていると、自分がどういう演奏が好きで、何を目指せばいいのかが、少しずつ見えてくる感じがします。絵画の世界でも、たとえば「りんご」を描かせたら画家によって全く表現が違ってくるように、同じクラシックの作品でも、演奏者によって全く違うものになり、そこには正解も間違いも無いのでしょうね。(間違いはある、という考えの人もいそう。批評家とか!笑)そこが芸術の面白いところだと思います。

というわけで、私は今まで通り、作曲家の心をあれこれ想像して、その気持ちを表現に盛り込む、というスタイルを変えずにやってみようと思います♪ もちろん、それだけでなく、美しい響きや構成、時間の使い方など、追求したいことは沢山・・・。それにしても、トリフォノフさんの技は凄かったな~。動的な部分だけでなく、静的なところも・・。また練習しようっと!

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