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【PFFアワード2024】セレクション・メンバーおすすめ3作品《♯15和島香太郎》

 PFFアワードの応募総数が年々増えている。中には昨年の審査の過程で落選した作品も混じっている。「ちゃんとみたのかよ」という作り手のぼやきが聞こえてくるようだ。『I AM NOT INVISIBLE』。このタイトルにも見覚えがあった。東洋最大のスラム、フィリピンのトンド地区に降り立った監督が、街の人々にインタビューを行うドキュメンタリーである。単純な質問で貧困の苦しみと幸せを顕在化させようとする手法には違和感を覚えたし、必然性を見出せないまま街を回る衝動性が目立っていたようにも思う。

『I AM NOT INVISIBLE』

 しかし、今回のバージョンは二部構成となっており、後半には追撮された映像が加えられていた。監督とフィリピン人の祖母が、本作(前半部分)の内容をめぐってビデオ通話で意見を交わす場面である。ここからはセルフドキュメンタリーとなり、トンドでカメラを回していた監督が何者だったのかが明かされていく。「恵まれた環境にいながらも人生に希望を見出せない私」、「トンドから帰ってきて閉鎖病棟に入院した私」、「貧困から抜け出せない若者たちに共感してしまう私」。「私」にはトンドの人々にカメラを向ける資格があったのか。監督の顔には映画を撮ることの取り返しのつかなさが刻まれているが、それだけではなく、映画を撮る必然性をようやく見出した安堵が滲んでいるようにも思える。しかし、祖母の読みが正しければ、監督はトンドでの撮影が引き金となって閉鎖病棟に入院している。再びスラムの闇に踏み込むことのリスクは大きいだろう。これもまた切実なテーマである。

 内省の時間を経てエピローグを迎えた時、トンドの街が映される。これは前半でも使われていたショットだが、道端で物乞いをする子どもがカメラを一瞥していることに初めて気づく。その眼差しが、「お前にはこちらを見る資格があるのか」と問いかける。お前とは、エアコンの効いた部屋で冷たい麦茶を飲みながら分かったようなコメントを書いているこの私である。子どもに呼びかけられても素通りする大人に自分を重ねながら、自己と他者を隔てる裂け目を覗いてしまった。痛みと祈りを継ぎ接ぎしたかのような二部構成は、このショットを蘇生させるためにあったのかもしれない。

『ちあきの変拍子』

 再編集の力を感じる一方、毎年新作を応募してくる作り手の活力にも驚かされる。とくに「米子高専放送部」の名前を見つけると今年も夏が来たなと実感する。その魅力は過去作のテーマを継承しながらも新たな視点を加えているところにある。声優オタクの女子たちがラジオドラマ作りに挑む『遊声ストライプ』(2021)、吃音のある女子がクラス対抗のディベート大会に挑む『感情線Link』(2022)。どちらの作品においても「声」に思いを託そうとする若者たちの直向きな姿が描かれている。そして、今回入選した『ちあきの変拍子』では、聞こえないはずの声に翻弄される主人公の姿を通して、聞くことの力が問われている。

 自分の感情に蓋をして暮らしてきたちあきは、周りに気を遣ってばかりいるせいで「委員長」という屈辱的なあだ名をつけられてしまう。そして、実際にクラスの委員長に選出されてしまったことによって、ちあきの不満を代弁するかのようなイマジナリー・フレンド、春貴が現れる。これが統合失調症の症状であることはのちに明かされるが、春貴と対峙することで本音が口をついて出るようになったちあきは一部の生徒から忌避されてしまう。

 こうして文章にするとシリアスな内容に思えるが、春貴が現れる度に「チーン」と鳴る呼び鈴の効果音は間の抜けた感じがして、彼が暴言を吐いてもなんだか憎めない。『感情線Link』のディベート大会でも生徒たちが意見を発する度に呼び鈴が用いられていたが、日常にある音を転用することで、自分たちと地続きのところにあるちあきの世界を捉えようとする工夫が感じられる。また、幼馴染の冬也はちあきの愚痴を聞いてくれるし、親友の明美と真衣も統合失調症の症状を詳しく知ろうとする。ちあきのセルフスティグマを描きながらも、一本の映画を通して聞こえてくる声の層は厚く、ひとつの価値観に縛られずに生きていくことの希望が伝わる。だからこそ、寛解の状態を描く必要があったのかという疑問が残る。症状があっても自分らしく生きることが、これからのちあきに求められることだと思うからだ。

『よそのくに』

 最後に触れる『よそのくに』では、自分たちが生きる現実が唯一無二の方法で描かれている。

 小学生の葵は迷い込んだ森の先でリコーダーを吹く少女、渚に出会う。彼女が奏でるのは童謡の「うみ」だ。二人は言語のかわりにリコーダーの音色で思いを伝え合うが、特筆すべきはその舞台の異様さである。森や草原の鮮やかな色彩や遠い山並みの輪郭までが丹念に映し出されていながら、草木のざわめきや虫の羽音などは聞こえない。波音が辺りを包み、少女が歩くとチャプチャプ足音がする。やがて、リコーダーからは別れの調べのような船の汽笛が聞こえる。

 見えるものと聞こえるものが常にせめぎ合う世界に没入すると、足元が揺らぐような感覚に陥る。この不確かさに既視感を覚えるのは、”よそのくに”と海で隔てられた私たちの現実に似ているからではないだろうか。あまりにも長閑な景色と、波音の向こうから微かに聞こえてくる戦争の足音。

 「そんなこと考えてないです」と作り手から言われそうな気もする。それくらい余白大きめな作品だが、繰り返し見ているうちに、私のいる「いま、ここ」が見たこともない方法で表現されているように思えてくる。

セレクション・メンバー:和島香太郎(映画監督)

「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」
日程:9月7日(土)~21日(土)
会場:国立映画アーカイブ ※月曜休館

「ぴあフィルムフェスティバル in 京都2024」
日程:11月9日(土)~17日(日)
会場:京都文化博物館 ※月曜休館


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