私は30歳まで実母のコピーになろうとしていた。
そういえば、小さい頃は年中のろまと言われていた記憶も蘇ってきたよ皆さん。
ハイ、毒親話の第2弾です。
コレ立ち上げて2日過ぎてんですよね。形にしてアップしましょう苦笑
真実ではあるけれど、人目をひく目的を持ってこのタイトルをつけました。
いろいろと、母親の真似をしていたような気がする。でもそれは、良いことの方は少なかったかも。母親が自由に幸せそうに楽しそうに見えたから。父親と別居してからは楽しそうにしてた。
でも、私にとっては、この母の元では、自由も幸せもなさそうだし、実は母親本人も幸せではなかった。
母親と自分の、資質の違いに気づいて、真似するのをやめたのが30歳あたりだと思う。オリジナルの西山香葉子さんを(本名が入る)模索し始めて。
30歳は、ネットを始めて3年目くらいです。この頃既に親子問題に触れてたから気づけたのでしょう。
私は、自分の人生が100%自分のものじゃないような感覚をずっと抱えていた。自分と母親が全く異質な人間ともわからずに。
しかしよくここまで違う人間が育つよなあ。
とにかく、自分の人生を生きているという実感が持てなかった。
あ、上の話は共感できない方が幸せですからね。
できてて幸せな人は、多分乗り越えた人。
だからか、同世代の人に比べて人生経験が足りてない気もして、そこがコンプレックスになってたと思う。
格好悪いけど。ずっと親の言いなりだったんだと思う。揉めて揉めて、結局は親の言いなりになる。だから、揉めた時の記憶しかない親は、私に対して「言うことを聞かない子供」と思い、私は「この歳で言いなりにさせられてる」と不満がある。どっちも不幸。
世話の焼き過ぎのいい例がある。
季節的に今は、ペットボトルを冷凍庫で冷やしてお出かけに持参してますよね。
で、うちの場合はこれにボトルホルダーを持ってけとうるさくなるんですよ。
ボトルの水滴でカバンの中の物が濡れるのを喜ぶ人も少なそうだが、これも見ようによっては余計なお世話だし、その上私は、強迫性障害という、自分以外の人間と物を貸し借りできない人種なのよ、擬態に勤めてるけど。他人が触れたものはきれいと思えないから素手では触れない。
飲み屋でグラスがかいた汗を年中拭いてる女にはこれが我慢できないからやってるのでしょうけど、自分と他人の区別できてないんじゃないの?
以下は、最近書き送ったメッセージやツイートのコピペになります。この辺を何かで吐き出してしまわないと前に進めないほど、今は鬱が進行してしまってます。で、閉じるんですが、そんなごみみたいな言葉の羅列で金取るのかと怒る向きもあるかもしれません。でも今は読まれたくない人がいるのでその対策です。ご了承くださいませ。
自分と大切なひとたちが幸せでありたいと思ってます。一部、共感できない方が幸せな内容もありますが、お読みいただいた皆さま、ありがとうございます。自立の助けと執筆環境の改良、資料の購入に繋がるのでよろしくお願いします。