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COCO'SのCMにドラえもんがいない

 そのことに気付いたのはごく最近、桜が散った後の暑い春だった。
 仕事から帰ってきた私がだらだらと夕飯を食べていると、テレビでCOCO'SのCMが流れ始めた。
 COCO'Sといえばドラえもんだ。ドキドキなCMソングと、コック帽をかぶった可愛らしいドラえもんが素敵なCMだったはずだ。
 私はドラえもんが好きだ。まんまる顔のフォルムは愛らしく、ストレートな物の言い方は現代においても通用する正論が多い。時代が時代だから許された過激な発言も、また味のひとつだ。
 ドラえもんは老若男女問わず愛される存在だ。断言する。

 なのにCOCO'SのCMにドラえもんがいない。

 私は困惑した。
 なぜなのかとインターネットで調べて、それらしい理由は見つけることは出来た。
 契約だの業績不振だの憶測はさまざまだったが、なるほどと思った。全て納得のいくものばかりだ。
 だけど私の胸には、からっ風が吹き抜けている。
 寂しいと思った。そもそもドラえもんがCMからいなくなったのは何年も前だったことも、先ほど初めて知った。
 それから私は何年も経ってしまったのだと、成長ではなく老いを感じてしまったのだ。

 老いは恐ろしい。昔は良かっただの、昔はああだっただのと語りたがる。
 誰もが若かりし頃に経験しているのに、老いると誰もがそうなってしまう。
 なぜなら憧れているからだろうと私は推測する。
 あの頃に戻れたら。そんな願いを持っているから、語りたがるのではないか。
 ああしていれば、こうしていれば。出来なかった後悔を「良かったこと」だとすり替えて、自分に言い聞かせているにすぎないのではないか。

 悪いことではないと思う。老いという逃れられない恐怖から弱い精神を守る為の、単なる防御反応じゃないか。
 しかし、時の流れを実際に目に見えるようにしたドラえもんの発言はこうである。

「きみがひるねをしている間も、時間は流れつづけてる。一秒もまってはくれない。そして流れさった時間は二度と帰ってこないんだ!!」

 私はこの言葉を受けた時、言われた側であるのび太と全く同じ気持ちになったのを覚えている。もったいない、と。
 懐かしむ暇は無い、前へ前へと進むべきである。そんなもの誰もが分かっていて、知っていることだ。
 されども懐かしむというのは昼寝と同じで、微睡みの如く心地良いものだ。
 たとえドラえもんに説教されようが心の睡眠は大事である。

 それに昭和モダンに平成レトロ。「懐かしい」は流行りの最先端だ。
 例えば、私も世代ではないのにアデリアレトロが好きで手に取ってしまいがちである。不思議な話だが可愛いと感じてしまうのだ。
 そう思う理由は特に無い。しいていうなら「エモい」からだろうか、同じ理由でアデリアレトロを好む人間は何人も見た。
 なので多少は許して欲しい。老いを、懐かしむことを。

 COCO'SのCMにドラえもんがいないことを悲観したって良いだろう、あの懐かしいCMを見たかったと言っても良いだろう。
 あのドキドキなCMソングと共にハンバーグを夢見たって良いんだよと、大山のぶ代さん時代のドラえもんに優しく言ってほしい。
 今日は、そんな夜だった。


#創作大賞2023 #エッセイ部門

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