見出し画像

「誰と」過ごすか

やっぱり私は「誰と」過ごすかを大切にしたい。


私は基本的に一人行動が好きで、なんでも自分の思い通りに時間を過ごせることに凄く喜びを感じる。寂しい時もあるけど、一人でも脳内で会話をしていることが多いから、人より寂しく感じることが少ないんだと思う。

そんな私でも、一人でやるより誰かとしたいことがたくさんある。
例えば、ドライブ、ハイキング、キャンプ、旅行…etc.。


「誰か」と一緒にやることが「価値」になる


この世界には、人と人との間に価値を生むモノゴトがたくさんあって、それをどれだけ大切にできたかで、人生の幸福度も充足感も大きく変わってくる。そう思う。一人で生きていけないからこそ、この世界にはたくさんの人がいるんだろうし、一人じゃ満たされないことがあるからこそ、人と人との繋がりから生まれる価値がたくさんあるんだと思う。
欠けたピースが繋がって1つのパズルができるように、全てのモノゴトにはそれが存在する意味がある(意味をもつ瞬間がある)んだと信じたい。
私みたいに一人でいるのがいくら好きな人であっても、SNSに繋がりを求めたり、日常の些細な会話で和んだりすることがあると思う。誰しもがきっと、どこか欠けていて自分以外の誰かを必要としている。だから、人との繋がりに満たされたって感じるんじゃないかな。


幼稚園児の頃から高校生まで、毎日周りにいつもの友達がいることが当たり前だった日常。
大学生になって授業ごとに一緒にいる友達が変わることが日常になり、一人暮らしを始めて人との繋がりを自由に調整できるようになった。
高校生まで当たり前だった人との繋がりから離れてみて、「誰と繋がるか」を自分で選べることを知った。「用意された繋がり」ではない、「自分が選ぶ繋がり」があることを知った。私は高校生までの繋がりも凄く気に入っているし、今の私にとってなくてはならない大切なものだって感じているから、二つの繋がりに優劣をつけることはしないけど、もし「用意された繋がり」に苦痛を感じている人がいるのであれば「自分で選べる繋がり」があることを忘れないでほしいし、「誰と一緒にいることを選んだか」で自分の人生は大きく変わってくると思う。それをこの2年間で学んだ。

このことを実感したからこそ、自分の人生を「誰と」過ごすかを大切にしたいと心から思っているし、そのためには少し我儘であってもそんな自分を許してしまいたい。




文字にするとき綺麗に整えすぎると、あまりにも当たり前なことに聞こえちゃうから悩ましいよね…笑
まあ、当たり前にあることが何より大切だったりするから、当たり前に聞こえるってことは、大切だって証拠なのかもね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?