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人を傷つけない配慮した作品は表現の自由を奪うか ~②~

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傷つく人がいるから血みどろの戦闘シーンは制作禁止!…にはできない。


直接交わす言葉も表現のひとつですが、表現の自由が問題になる時の多くは「作品としての表現」です。つまり間接的コミュニケーション。

間接的コミュニケーションでも原則である「誰かを傷つけない」は重要ですが、時として伝えたいことのために「誰かを傷つける表現が必要」となる場合があります。


血みどろの戦いのシーン。
傷つく人や気持ち悪くなる人がいるとわかるグロテスクなシーンだとします。しかしそれがあることで、主人公の強さや戦友との絆、その戦いで失われたものの大切さなど多くのメッセージが伝えられるということはあると思います。

その様な場合に「傷つく人がいるから血みどろの戦闘シーンは制作禁止だ!」と制約をつけると表現の自由が奪われることになります。
しかし作品作りとは、メッセージを伝えるコミュニケーションであるわけですから、コミュニケーションの大前提として誰かを傷つけないよう配慮しなくてはいけません。


傷つけないこと VS 表現の自由
2つは対立しているように思えます。

この対立の回避方法は”伝達の仕方”です。

その作品に血みどろの戦闘シーンがあることを事前に説明し、了承した人だけが見れるようにするという簡単なことなのです。
例えば、PGやR指定、有料化によるクローズドな空間での視聴、放送時間などによる視聴層の限定、放送前にそのようなシーンがあることを知らせる「最大限の配慮」がされるべきです。

街を歩いていていきなりグロテスクなシーンや社会的問題があるシーンが目に飛び込んでくるような状況ではなく、その表現を見る見ないの取捨選択を視聴者ができるようにしておく必要があります。


twitterにこういったことを書いたところ
「そのような制約がつくと、暴力的表現などがある良い作品もたくさんあるがそれらに触れる機会が圧倒的に減ってしまう」と言われました。

本当に力のある作品は、PGがあっても、説明文が入っても、観たいと思う人は観ます。実際、映画「鬼滅の刃」にはPG(小学生以下は親同伴)がついていますが興行は大成功しています。
名作映画「風とともに去りぬ」を配信で見ると放送前に「時代背景から人種差別的な表現があること」を説明するテロップが入ります。
伝えるメッセージが大きな意味がある良作品であるからこそ、きちんと作品をみてもらうために重要な配慮だと思います。

作品を宣伝する場合など、無料で誰でも目に出来るポスターやテレビ、SNSで差別や暴力シーンを使う必要性がどうしてもあるのかという点は慎重に検討しなくてはなりません。
実際にそのシーンが必要であるなら、本編にせよ宣伝にせよ注釈をつけて視聴者に前もって把握させるべきだと思います。


重要なメッセージのために、誰かを傷つける可能性のあるシーンを作ることができるのであれば表現の自由は奪いません。
しかし届ける相手にも同じ自由を与えなくてはいけないのです、過激な表現を受け取るかどうかの取捨選択できる自由です。
自分の自由(表現の自由)を守り、そして視聴者の自由(観たくないものは観なくて済む)も守ることになります。


外国に外国人がいることに驚いたわたし。

続き③

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