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国会議員「種の保存ができないLGBTは生物学に背くもの」ナイチンゲールは私より価値があるかの答え。

えーもうありえないんだけど……。
朝からがっかりしすぎて、またまた長文政治noteを書くことになりました。新しい買い物のことのほほんと書きたいですよ、本当は。でも今の日本じゃそうできませんやばすぎる(涙)

LGBT理解増進法案について話す会議での自民党山谷えり子議員の発言
「道徳的にLGBTは認められない」
「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」


驚きです、令和になってこんなこと言う人がでるなんて。以前、別の議員が「LGBTは生産性がない」と国会で(国会で!!!)発言して物議をかまし反省したはずなのに、また……。
しかもLGBT理解増進法案について話すところでの発言がコレって、何重にも悲しみが深くないですか…?

=目次=
・生物学的に同性愛あるらしいよ
・生きてる価値?その発想はナチですよ
 ┗ナイチンゲールは私より価値があるか
・なんで子供を産むのが大事なん?お国のためってこと?
 ┗そんなこと言ったら人間が不適合やわ~
・国のため国民がいると思ってない?私たちのために国があるんやで~
・性転換してスポーツしちゃうと問題じゃん
 ┗ピザで証明する。


自然界には同性愛が存在する

まず他の様々な生物の間にも同性愛的な現象がある、ということです。NYタイムズにも掲載されていたそうです。
もうね、学問を出して「同性愛は生物的に間違ってる」は間違ってるんです。これですべての議論を終わらせたいところだけど、きっとこの国ではわかってもらえないから、頑張って細かくこの発言の根本的問題を紐解きたいと思います。

種の保存ができなければ生きている価値はないのか

種の保存に反している、という言葉は簡潔に言い換えれば「生きてる意味がない」というニュアンスです。
これって子供を産めなければ(または子作りできなければ)生きている価値はないということでしょうか? この国ではこんな考え方を国会議員がしていてもOKなんですか……え、、、おそろしい。

LGBTでなくても子供がいない人はたくさんいます。貧困時代に突入したといわれる令和では結婚してない割合や子供がいない割合は高くなっています。みんな、生きてる価値がないんでしょうか? 

ナイチンゲールは、看護師として戦場で多くの命を救った有名な人物ですが、結婚しておらず、子供はいません。この議員の言葉に照らし合わせれば、彼女は生きている価値がないでしょうか?

こういった著名な人物を出すと「多くの人の命を救ったからたとえ子供がいなくても価値のある人物だ」という人が出てきそうですが、これは大変危険なことです。
そもそも人に生きている価値があるかどうかをジャッジすることはできない、という点を共有しなくてはいけません。ナイチンゲールはすばらしい人物ですが、人間として「あなたや私より人間として価値があった」わけではないのです。素晴らしい人だけどね、私たちの価値は同じです。ここは勘違いしてはいけないのです。

「役に立つから生きている価値がある」と考えてしまうことは危険なのはナチスドイツの「優生思想」につながるからです。
〇〇人は優れているから価値がある(〇〇人でないXX人は生きている価値がない)として大虐殺が行われました。この時のことを反省して「誰かにとって価値があるから生きている意味があるのではない」と心に刻まないといけません。誰かに生きている価値を見出すことは、誰かに生きてなくていい理由をつけることになるからです。

人は誰かの役に立つから生きていることを許されている、わけではありません。ただ生きているということが、当たり前に、すべての人に同等に存在するのです。特定の人からそれを奪ったり、または与えたりするようなものではありません。それは基本的人権として憲法の一番最初に保証されています。

子供が役立つ?だれのために?お国の子供?

今回の問題発言議員や過去に同じような発言をした議員は、種の保存とか生産性とか、子供がいることに価値があると考えているわけですが、いったい「子供は何の役に立つ」から価値があると考えているのでしょうか?

まぁこれは、言外に透けて見えるのですが、国のためですね……
国のさらなる発展のため人口が必要で、働き手が必要で、そうすれば経済が豊かになるので子供が必要だと言っているわけです。

もし働き手(経済の担い手)として子供の存在価値を定めるなら、人間という形は不適合です。はっきり言って。

人間は出産までに10か月かかり、歩くまでに1年以上かかり、成人と同じ速度で走ろうと思えば10年近くかかります。子供をつくる身体的機能が発達するまでも14-5年以上かかります。
一方、他の動物では出産までの時間も短く、生まれてすぐに歩くこともでき、数日で大人と一緒に走り回り狩りをする動物はたくさんいます。数年すればすぐに次世代の子供を作り産むことも可能です。
つまり、人間は。
働き手として生まれてくるのであれば、生産性がなく経済的に非効率的。今の人間の知性を持ってすれば、子供よりロボットを作ったほうがよっぽど生産的で効率的なわけです。

子供を産まないことを生産性がないと表現するならば、そもそも人間に生まれてきたことが生物学的に生産性がないとさえ言えます。時間かかりすぎ。

「生産性」を求めるなら人間作るのやめて、経済効率のいいロボット制作にお金かけましょう、と言いたくなります。

さて、もちろん。人間を作る必要がない、という話ではありません(つい話がそれる安定)ひとりの人間の価値を生まれ持った性質や生き方、だれの役に立っているかでジャッジしてはいけない、という話です。

これらの議員さんに共通しているのは「国の役に立つ」という考え方です。国家が経済繁栄していくためには人口が必要だという考え方のもと、子供を産むことを良しとしているわけです。
しかし最初に考えたいのは「国のために人間がいるのではない」という圧倒的事実です。「人間のために国がある」んです。

いつも思うのですが、戦争を引きずっているのか(いや反省したんですよね?)いまだに「お国のために」思想が強すぎませんか・・・?

人のために国(政治)がある

私たちは国や政治のために生きているのではありません。誰かの役に立つから生きることを許されているのでもありません。生きている価値を値踏みされるようなことはありません。そんなことあってはいけない、それが基本的人権です。

子供が産めないから価値がない、LGBTは生物学的・道徳的に反している、とするのは、生きている価値を値踏みされています。基本的人権を踏みにじられている、ということなのです。

では国や政治は何のためにあるのか、「私たちのために国はある」んです。私たちの持つ基本的人権が踏みにじられたり、幸せに生きることを剥奪されたりしないように、政治によって話し合われ、法律を整備して、国で定めるんです。

この大きな勘違い、議員の大きな間違いに気づくと、見えるものがまるで変わります。国の繁栄のために国民がいるように話すことはトンチンカンです。
私たちは誰かのために生きている(誰かの役に立つことが存在価値)ではありません。大前提です。

オリンピックとかにぃ~性転換して出場してメダルとかとっちゃうじゃないですかぁだからLGBT法案は慎重にぃ~

件の議員がおっしゃっていた発言です。もうこんなにバカなことあるんって頭の中が沸騰して煮えくり返りそうな勢いですが、落ち着け~(私)

件の議員はこのように話しています

「女子の競技に男性の身体で、心が女性だからっていって競技参加して、いろいろメダル取ったり、そういう不条理なこともあるので少し慎重に。社会運動化・政治運動化されると、いろんな副作用もあるんじゃないでしょうか」(自民党 山谷えり子参院議員)

話のレベルが違うんです・・・!!!!!!!!!!(史上最大数のビックリマーク)同列で話すことじゃないんです!!!!!!

例えば、身体的に性転換手術などを行った人がスポーツ大会にどのような形で参加するべきなのか、なのは今後それぞれのスポーツの特性などによって話し合われるべき部分もあると思います。

しかし、今回LGBT増進法案は「LGBTなど性的少数者に対する理解増進に向けた法案の審査」であり、「LGBTであることが日常生活において差別されないよう改めて認識を共有し、必要なら法律の変更を話し合っていく」ということなんですよね。
例えば同性婚ができないとか、今の憲法では差別になっている部分について話す会なわけですよね。細かい調整が必要な部分を取り沙汰して根本的問題を話し合う機会をなくそうとするのは、議論の崩壊です。

まずは「LGBTへの理解増進」という根本的な問題に向き合っていただきたい。そうすると細かい調整が必要な部分は出てくるでしょう、なぜなら今まで差別され存在を無視されてきたんだから、過去のままのルールで合わない部分はたくさん出てくると思います。

「LGBTを法的に認めるとさ、なんかこまけー問題いろいろでてくるから大変だよねぇ」という発想で、問題の根本であるLGBTの存在を法的に無視している現状をこのまま置いておこう、ということになる訳ありません。

例えば四角ピザを今までの法律の範囲、丸ピザをこれからの法律としたときに、その四角の外の部分にLGBTの存在はあるんですよね、今の法律だと。



今日までピザの形は■でその上に具をのせてたんですよ。
でもピザの形を〇にしたら今までと違う範囲のところが出てきて、具材が足りないソースが足りないってことになる。
じゃぁピザは■のままでいいか……ってことにはならないんです。

ピザ生地は丸くしなければいけない。今まで法律上、その存在を無視されてきた人たちがいるならば、法律でその人たちも同じように人間として扱われるよう範囲を広げないといけないんです、当然
生地を広げてみたら、足りないこと変えなくてはいけない事があるから、その次に具材を変えたりソースを足したりする必要があるんです。

なのに、「生地を丸くしたら、ソースが足りないわ~」と言って生地を丸くすること自体をやめてしまったら、いつまでも生地の外にいる人たちはどうなるんでしょうか。その人たちの存在を無視する法律のままなんです。
まだ、私たちは生地の段階なのに、ソース不足を心配して、生地の外にいる人を引き続き無視しようって結論は暴論です。生地を整えて、その次に必要なソースを追加出来るよう話を進める順序です。


ふー、朝から燃えてしまった・・・日本はいい国、すごい国、って思って育ってきた分、最近の日本の崩壊っぷりが悲しくて仕方ないです。本当の意味でよい国になってほしいです。


おわり。




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