冬の終わり

 3月に入って気温が少し上がってきた様に思えたが、やはり寒さは変わらない。この時期は私が1年間で最も気持ちが落ち込むので、今年も憂鬱である。桜が咲く頃にはこの憂鬱も晴れるのだが。今朝、散歩をしたのだが、山の色は相変わらず灰色で春を感じるにはまだ早い。けれども足元を見てみると緑の草木が生え始め、小さな花が見えたので、少しずつでも春が近づいている事を感じる。
 人生において、長い冬の時期は誰にでもあるものだ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ時期は誰にでもある。その長さ、時期が違うだけである。人一人一人に地獄があるのだ。しかし、まだ見ぬ春を夢見て、人は雪道を掻き分けながら歩き続けなければならない。
 今年の夏頃、祖母から祖父の聖書を譲り受けた。この時期になると色々な事を思い出す。祖父の聖書には赤い線が所々に引いてある。祖父は僕に説教や、教訓を述べることはなかった。しかし、聖書の赤い線の脇にはまるで祖父からのアドバイスかの様にキリストの言葉が記されている。祖父は何を感じ、何を思ったのか、今では知る由もない。けれどもその赤い線に祖父の思いの破片を感じる。そこに祖父の思いが確かに存在しているのだ。
 また今年も春がくる。
 
 

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