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多頭崩壊の末路(小説風に紹介)


多頭飼い崩壊すると、人も猫も行き場を失うことがある。

はじまりは1匹から

私は75歳の女性で、一人暮らしをしている。夫は早くに病気で亡くし、昔は神戸の都心部で小さな居酒屋を経営していた。1995年1月17日5時46分、仕事中に阪神大震災で店は半壊になってしまったのだ。立て直す力もなかったため、仕方なく居酒屋を閉めた。
当時の神戸は倒壊した家も多く、住める場所も失ったため、住み慣れた神戸を離れて隣町に住むことになる。お客様とは交流せず、数少ない友達とのみ交流する生活が続く。
震災後の生活を立て直して、やっとの思いで生活が落ち着きを取り戻すのに時間はかかった。朝方に怖い思いをしたので、夜に寝るのが怖くなり、夜が明けてから寝る日々が続くことになる。
日常を取り戻して心が落ち着くのに、買い物や散歩のときに猫に良く出会うようになる。素直に可愛いと思いながら、猫と会える日々を嬉しく思って過ごすことができる。それからというもの、猫のご飯を買ってカバンに忍ばせて行動するようになり、出先で猫に会うと餌をあげる日々が続くことになる。
私が餌をあげている猫が、私の足に頭をこすりつけてスリスリしてきた。出会うたびに懐いてくれて、私の足に顔をスリスリとしてくる。懐いていると確信し、猫に「うちに来るかい?」と声をかけて抱っこした。猫は嫌がることなく我が家に来て、それから一緒に住んでくれている。
それから猫との生活が始まったのが、とても嬉しかった。そっけない一人暮らしから、猫というパートナーと暮らせるようになったのだから。私の生活に余裕があったことから、最初の猫を動物病院に連れて行った。病気になってないかも検査したし、避妊手術も行っている。
「猫のトイレは、これでいいかい?」
「キャットタワーも置いてるよ。」
「ご飯は足りてるかい?」
私は毎日、猫に話しかけ続けた。猫は「ニャー―」としか言わないが、その顔は満足そうに見えた。ただただ、私はそれだけで幸せな気持ちでい過ごしていることができる。
住んでいるマンションは、本当はペット禁止だったのは知っている。だけど管理会社も隣人も、見て見ぬふりをして容認してくれていたので、安心して住んでいたのだ。収入は年金のみ、貯金を崩すこともあったけれど、猫が幸せなら良いと思って支出している。けれど猫と私が質素ながらも猫と幸せに暮らす、そんな時間がずっと続いて欲しいと思っていた。


外は寒いね、家にお入り!

家の猫はもちろん可愛いが、外の猫も可愛い。だって、猫だもの。野良猫さんに餌や理は続いている。親子でうろうろしている猫がいた。ある日1匹の子猫を置いて、親だけが見えなくなった。思わず「心細いね、おうちに来るかい」と声をかけて、ついてきたので家に入れてみる。
猫が家でくつろいでいるのを見て「また家族が増えて、良かった」と思っている自分に、満足な気持ちになっていた。2匹3匹と増えても、初期医療はちゃんとしていた。
季節も変わって冬が来ると、えさを頼りにしてくれている猫を見かけては「外は寒いだろう、良かったら家にお入り」と家に招き入れる日があった。4匹目から避妊去勢手術が出来なくなった。
どんどん猫の頭数が増えていったと同時に、猫のえさ代とトイレの数も増えていく。猫が増えるたびに家には自分の物は物が減り、猫のグッズが増えていくことになる。 

避妊去勢できずに多頭飼い困難

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